安心と自信を持って災害に備える考え方と方法
2025年6月8日 愛知県立大学 講演会
講師:清水伸明(一般社団法人地域災害弱者対策研究所代表理事 / 愛知県立大学名誉教授 / 医学博士)
はじめに:感染制御の専門家が災害対策に取り組む理由
私は元々、新型コロナやHIVなどのウイルスの研究・感染対策を専門としていました。パンデミック時に一番大変だったのは、実は病院ではなく「保育施設」です。保育施設が止まれば、医療従事者も働けなくなり病院が止まってしまうからです。
感染症も災害も同じで、魔法はありません。**「ちゃんと仕組みを作り、いくつか必要なことをやれば、被害は最小限に抑えられる」**のです。現在はその経験を活かし、保育施設を中心とした災害弱者対策や、火災・不審者対策の指導を行っています。
1. 災害弱者対策は、地域の災害対策の「基本」
災害時、屈強な人でも捻挫をすればあっという間に「災害弱者」になります。誰もが数十年後には高齢者になりますし、決して他人事ではありません。 保育施設には、乳幼児、妊婦さん、障害を持つ子など、災害弱者の特徴のすべてが詰まっています。つまり、**保育施設の災害対策ができれば、地域の災害対策のすべてができる(グローバルスタンダードになる)**ということです。
2. 「とりあえず遠くへ逃げる」は間違い
災害が起きると「一秒でも早く遠くへ逃げよう」と言われがちですが、体力のない弱者にはそれができません。冷静に現実を見る必要があります。
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家は簡単には潰れない: 99%の家は地震で潰れません。マスコミは倒壊した家屋にスポットライトを当てますが、それは特殊な条件の家屋です。
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火災は簡単には起きない: 保育施設などから火が出ることは想定されていません。
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精神論ではなく「戦術」を: 危機感や恐怖はモチベーションになりません。いざという時に「動かないで済むようにする」ことが最大の対策です。
3. 津波・水害対策は「距離」よりも「高さ」で勝負
東日本大震災の釜石や南三陸町の教訓からわかるのは、**「実際の避難は訓練の3倍以上の時間がかかる」**ということです。
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水深30cmの恐怖: 津波は30cmを超えると大人でも流されます。水が来ているのに無理に「指定避難場所」を目指し、地上で飲み込まれた方が大勢いました。
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高さで勝負する: 水が迫っているなら、遠くへ逃げるより「頑丈な建物の2階以上(できればもっと高く)」に逃げ込む方が助かる確率は格段に上がります。
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外に出てはいけない時がある: 平地の水害(大雨など)で亡くなった方の8割は、**「家から出ていなければ亡くなっていなかった」**方々です。外が危険なら、自宅の2階などで安全を確保してください。
4. 避難の基本は「籠城戦(在宅避難)」
避難所は絶対安全な場所ではなく、「到達を保証するものではない」有力な候補の一つに過ぎません。満員で入れない可能性や、劣悪な環境でパニックになるリスクもあります。
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自宅の安全度がゼロになることはない: 水も数日で引きます。まずは自宅での「籠城戦」を基本とし、それが無理な場合の「第二の選択肢」として避難所を考えてください。
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無理をさせない: 弱者の避難は「撤退戦」です。勝てなくても負けなければ(生き残れば)いいのです。無理に避難所を目指さず、自分たちの「ベスト・ベターな力」を使える範囲で行動しましょう。
5. 命を守るための具体的な「備え」
すべてを完璧にする必要はありません。**命に関わること(レッドゾーン)**に絞って対策をしてください。
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ケガを防ぐ: 大きな家具など、当たったら命に関わるものだけ固定したり、紐で引っ掛けたりして下へ移動させましょう。
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止血法を学ぶ: 心臓マッサージより、数分で命に関わる「血を止める(止血法)」スキルを日赤の講習などで習得してください。
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絶対に体温を下げない: 食べ物より水より、**「低体温症」が一番命を奪います。**濡れたらすぐ着替える、カイロを備えるなど、熱を逃がさない工夫を。
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備蓄は「日常の延長」でOK: 人間は数日食べなくても餓死しません。専用の防災食でなくても、普段食べるお菓子や袋麺、カセットコンロがあれば十分です。
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トイレの準備は必須: 断水に備え、黒いゴミ袋と凝固剤(または新聞紙や猫砂)の準備を。トイレの我慢は極限のストレスになります。
6. 実践的なマニュアル「ドタバタイベント」の作成
分厚い行政のマニュアルだけでは現場は動きません。自分たちの施設や家庭に合った実践的なルールが必要です。
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想定されるトラブルを書き出す: 「親が迎えに来られない」「道が塞がっている」など、想像できるトラブル(ドタバタイベント)を付箋に書き出します。
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3つに分類して解決する:
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事前に解決できるもの(転落防止ネットを張る など)
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アクションカード化するもの(解決手順を決めておく)
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諦めるもの(どうしようもない事態)
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時系列に並べる: これをつなぎ合わせるだけで、現場で本当に使えるマニュアルが完成します。
おわりに:不安ではなく「自信」を持つために
大成功する避難訓練ほど危険なものはありません。訓練では小さな失敗を経験し、話し合うことが重要です。 防災の目的は「恐怖や危機感を持つこと」ではありません。自分の弱点を知り、対策をし、「いざという時はこう動けばいいと分かっている」という【自信】を持つことです。不安があっても良いことは一つもありません。できることをしっかりやり、安心と自信を持って備えていきましょう。どうかご安全に。ありがとうございました。
安心と自信を持って災害に備える考え方と方法
日時:2025年6月8日 場所:愛知県立大学 講演会 講師:清水伸明(一般社団法人地域災害弱者対策研究所 代表理事 / 愛知県立大学名誉教授 / 医学博士)
感染症研究の最前線から、子どもたちの対策へ
私の専門は感染対策です。こちらの大学の医学部に長く在籍し、新型コロナウイルスのように、ウイルスの研究を専門にしていました。実は、日本で最初にエイズ(HIV)の遺伝子を扱ったのは私です。 東京の国立感染症研究所のスタッフと共に研究を行っていましたが、こちらに来てからは、これまでの知識と経験を活かし、子どもたちの感染対策や災害対策に本格的に取り組むことになりました。
コロナ禍で直面した「保育施設」の重要性
コロナウイルスのパンデミックでは皆さんも大変苦労されたと思いますが、当時一番大変だったのは病院ではなく「保育施設」です。保育施設が止まってしまうと、医療従事者も働けなくなり病院が完全に止まってしまいます。現場の先生方はそれをよく分かっていて、本当に頑張ってくださいました。感謝しかありません。
私も現場に引っ張り出されましたが、結果として保育園の中で大きな感染はほとんど起こりませんでした。コロナも災害も同じで、決して魔法ではありません。必要なことをいくつか実践すれば被害を最小限に抑えられるという「正しい仕組み(やり方)」がちゃんとあるからです。
感染対策のノウハウを、災害や不審者対策へ応用
今ご紹介いただいたように、私は愛知県立大学で「地域災害弱者対策研究所」を設立し、所長を務めておりました。退職後もこの活動をやめてしまうのはもったいないと考え、一般社団法人として名古屋市に登記し、現在もここを拠点に活動を続けています。
中心となっているのは保育施設での対策です。地震や津波、突然のゲリラ豪雨への備えはもちろん、免疫のない子どもたちを感染症からどう守るかという対策も指導しています。最近ではそのノウハウの応用として、火災や不審者対策の要望も非常に多くいただいています。難しい課題に思えるかもしれませんが、これらにも必ず正しい「やり方」があります。 現在は、週に3、4回はどこかの保育園へ赴き指導を行っています。また、愛知県とも協定を結び、小さな子どもたちだけでなく、高齢者の方々を含めた「災害弱者対策」に今もずっと取り組み続けています。
保育施設に集まる「災害弱者」のリアル
皆さんには釈迦に説法かもしれませんが、保育施設は小さな子どもたちの集まりです。現在、何らかの発達障害を持つ子は全体の3割にものぼると言われています。現場はマンパワーもお金も潤沢ではありませんし、子どもたちに「頑張れ」と言い聞かせてどうにかなるものでもありません。想定外の出来事が頻発するのが日常ですが、それでも致命的な事態は絶対に許されない環境です。
また、忘れてはならないのが「保護者の方々の命を守る責任」です。実は、子どもたちを避難させること以上に、保護者の命を守る仕組みづくりは非常に難しい課題です。
施設の対策を進めていく中で、私はあることに気づきました。保育施設やその周辺の環境には、災害時に困難な立場に追いやられる「災害弱者」の特徴が、ほぼすべて揃っているのです。赤ちゃんや小さな子どもたちはもちろん、妊婦さん、そのご家族、高齢者、病気や障害を持つ方など、さまざまな方が関わっています。つまり、**「保育施設の対策ができれば、地域の災害弱者対策のすべてを網羅できる」**ということに気づいたのです。
明日は我が身。誰もが一瞬で「弱者」になる
皆さんは今元気でここに来られていますが、災害時はどんなに屈強な人でも、あっという間に弱者になってしまいます。逃げる途中でつまずいて骨折や捻挫をすれば、もう動けませんよね。いざという時に元気である保証はどこにもありませんし、10年後、30年後には間違いなく高齢者になっています。
だからこそ、災害弱者は決して他人事ではありません。保育施設の対策というと「子ども向けの特別なもの」と思われがちですが、実はこれこそが、地域の災害対策の根底にある基本、つまり**「グローバルスタンダード」**なのです。
保育施設を「地域防災の中核」に育てる
現在、この考えをもとに、保育施設の対策を地元の自治会の方々と共有し、一緒に実践する取り組みを進めています。保育施設を一つの単位として、地域の災害対策を行おうという試みです。 たとえば、鳴海エリア周辺の6町では、中核となる保育施設を中心に子育て支援や災害対策を進める、非常に優れたシステムがあり、私も協力させていただいています。
なぜ保育施設が中核になり得るのでしょうか。それは、防災のノウハウが**「確実に受け継がれていく」**からです。地域の自治会などでは、役員が変わるとそれまでの取り組みがリセットされてしまうことがよくあります。しかし、保育施設であれば、スタッフが変わっても次の世代へとしっかり申し送りがなされます。だからこそ、保育施設を地域の中核として育てていくことに取り組んでいるのです。
「とにかく早く遠くへ逃げる」という大きな間違い
災害が起きると、「一秒でも早く遠くへ逃げよう」とマスコミでも散々言われますよね。しかし、そもそもこれが大きな間違いなのです。体力のある強い方ならいいですが、小さな子どもや災害弱者には、それができません。
実を言うと、皆さんのおうちを含め、**大体99%の家は地震でそう簡単に潰れません。**大きな災害が起きると、マスコミはどうしても倒壊した家屋にスポットライトを当てます。また、東日本大震災の激しい映像ばかりを見せられたため、「全部流されてしまう」と思い込んでいる方も多いでしょう。
しかし、津波や洪水で家が流されるような場所の割合は、実はものすごく少ないのです。それはほんの稀な、限られた地域や条件での話です。マスコミの映像に引っ張られず、現実的に落ち着いて考える必要があります。
自宅や保育施設は、すでに「立派な避難所」である
火災もそう簡単には起こりません。たとえば、名古屋市消防局は保育施設から火が出ることを想定していません。そのくらい燃えにくいのです。人間にとって避難所が必要だからこそ、皆さんも家を持っていますよね。つまり、皆さんのご自宅も保育施設も、すでに**「高い安全度を持った避難所」**なのです。
もちろん、古い木造の家屋など特殊な条件の建物には対策を打ちます。ただ、何が危ないかはすでに分かっているので、ピンポイントで対策を打つのはそれほど難しいことではありません。
対策とは「いざという時に動かないで済むようにする」こと
災害弱者の対策というのは、決して「頑張ること」ではありません。無理をして100%の完璧を求めたりしても上手くいきません。 災害時、皆さんはどうしても「逃げ出そう」「動こう」としてしまいます。しかしそうではなく、「いざという時に動かないで済むようにすること」、それこそが本当の対策なのです。
皆さんのご自宅や施設には、すでにある程度の安全度(50%以上)が確実に備わっています。無理に新しい絶対ルールを作って環境を変えてしまうと、かえって安全度が落ちてしまうこともあるので注意してください。
災害対策は「精神論」ではなく「戦術」である
災害対策は、決して精神論ではありません。それは「仕組み」であり「システム」であり、ある意味では「戦術」や「科学」です。 テレビなどではよく「危機感を持て」と煽られますが、基本的に不安や恐怖といった感情は必要ありません。むしろ「怖い」という思いは対策を進めるモチベーションにはならず、かえって邪魔になります。
皆さんに問いたいのは、被災本番で避難行動をとるとき、**「自分や家族の目の前でどんなことが起こるか、細かな言葉でイメージできるか?」**ということです。 これができないと、有効な対策は絶対に打てません。「いざ避難すると自分たちの状況はどうなるのか」を具体的にイメージし、そこから出てきた問題に対して策を練る。そうして初めて、本物の「安心と自信」が持てるのです。
「釜石の奇跡」が教えてくれる本当の恐ろしさ
「とにかく逃げろ」とよく言われますが、実際の避難がどれほど過酷か、少し想像してみてください。 「釜石の奇跡」と呼ばれる岩手県・鵜住居の事例をご存知でしょうか。群馬大学の片田先生が8年間、子どもたちと本気の訓練を続け、本番では子どもたちが率先して山へ駆け上がり助かったという有名な話です。
海から山へ向かって走った距離は800m。名古屋駅の東から西くらいの距離で、走ればすぐに行ける距離です。しかも津波到達までは50分ほどありました。しかし、体力のある中学生ですら逃げる途中で転んだりしていました。 私はこの話を聞いて、感動するどころか怖くなりました。あれほど訓練され、ピリピリと警戒していた子どもたちですら**「ギリギリ」**だったのです。最後の子たちは、水に飲み込まれる寸前だったと言います。それほどまでに、実際の避難というのは難しいものなのです。
地震は「最悪のタイミング」でやってくる
今後、愛知県周辺でも海溝型の大地震が心配されています。緊急地震速報が鳴ったとしても、揺れが来るまでせいぜい10秒程度です。しかも、地震がいつ起こるかは全く分かりません。お風呂に入っていたらどうしますか? トイレでお腹を下していたら?
阪神・淡路大震災は、朝の5時46分に起きました。人間の生理機能が一番落ちている時間帯であり、しかも真冬です。こういう悪条件が重なると、人は全く動けないのです。
「5分以上続く揺れ」と「鳴りやまない余震」
東日本大震災のとき、実は3分も揺れ続けたのです。海溝型のトラフ地震はとにかく揺れが長いです。次に巨大地震が起きたら「最低でも5分、長ければ8分は揺れ続けるだろう」と地震学者は言っています。
東日本大震災では、まず3分間揺れ、その後の「30分以内」が津波から逃げなければならない勝負の時間でした。しかし、その逃げるべき30分間のうちに、震度5以上の余震が8回もありました。夜中まで携帯の警報が鳴り続け、精神状態がおかしくなってしまいます。そんな極限状態の中で、皆さんは冷静に動けるでしょうか。
人間は「情報を探して」逃げ遅れる
揺れが少し収まった後、人は何をしようとするでしょうか。「情報を取ろう」とするのです。 「津波は来るのか?」と携帯を見たり、避難指示が出るまで待とうとしたりします。ここで決定的なタイムロスが生まれます。よく「地震から何分後に津波が到達」と言いますが、あれは「揺れが収まってから」ではなく「揺れ始めた瞬間から」のカウントなのです。
本番の避難は「訓練の3倍」時間がかかる
保育施設で実際に検証してみると、どんなに頑張っても、地震が揺れ始めてから避難し出すまでに20〜30分はかかります。 いざ外へ出ても、障害物で道が通れなかったり、焦って方向を間違えたり、やっと避難場所に着いても人が殺到してすぐには入れないかもしれません。
訓練では感じない恐怖や焦り、そして停電による情報遮断。こうした悪条件が重なるため、実際の避難は訓練の大体3倍の時間がかかるのです。「大成功した訓練通りの動き」は、本番では絶対に通用しません。
完璧を目指さない。対策は「命に関わるレッドゾーン」だけ
家の中の対策も、全部をやろうとすると絶対に挫折します。ある保育園では、危険度を3つに分けました。
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グリーン: 落ちてもケガをしない、死なない物(無視する)
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イエロー: 当たればケガをするかもしれないが、命には関わらない物
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レッド:落ちたり倒れたりしたら確実に「死んでしまう」物
対策をするのは、この「レッド(命に関わるもの)」だけでいいのです。家中の家具を完璧に固定するのは大変ですが、レッドの物だけを下に置いたり、倒れにくいように紐で引っ掛けたりする。まずはこれだけで十分です。
また、日本赤十字社の「救急法講習会」では、人工呼吸などよりも**「止血法(血を止めること)」**を真っ先に習得してください。災害時に太い血管を切ってしまうと、数分で命に関わります。いざという時に血を止められる技術は、何よりも重要です。
危険な外を歩く「リセット避難」は必要ない
皆さんは「地震=家が潰れるから外へ逃げる」と思っていませんか? よく、頑丈で立派な小中学校にいるのに、わざわざ全員を外に出して丘の上の避難場所へ移動させたりしますよね。これをやると「避難したぞ」という自己満足は得られますが、これは**「リセット避難」といって本当は必要のない行動**です。
大地震の直後、街中は破壊が進む「戦闘エリア」です。そんな危険な場所を、小さな子どもや高齢者を連れて安全に移動できるでしょうか? 唯一移動が必要なのは「火災」の時だけです。頑丈な建物にいるなら、無理に外へ出ないことが鉄則です。
津波避難の罠:地上に留まることの恐ろしさ
東日本大震災の釜石市では、1000人以上の方が亡くなる大混乱が起きました。しかし、被害の写真を見ると、街中には3、4階建ての頑丈な建物がたくさん残っているのに、多くの方が「建物の外(地上)」で亡くなられているのです。
津波は水深30cmで大人が流され、1mで確実に命を落とします。建物を壊すエネルギーがあるのは海岸からごくわずかな距離です。 多くの方は「指定避難場所」に逃げる訓練を徹底していたがゆえに、すでに水が迫っているのに「あそこまで行かなければ」と最後まで頑張りすぎてしまい、逃げ遅れて地上で飲み込まれてしまったのです。
避難の鉄則:遠さ(距離)よりも「高さ」で勝負する 「もう無理かな」と思ったら、すぐ目の前にある高い建物で勝負してください。数メートル、あるいは10mも上に上がってしまえば、十分助かったのです。
ハザードマップの「非現実的な浸水想定」に騙されない
よく自治体のハザードマップを見ると、川から離れるに従って広範囲にわたって深く浸水するように色が塗られています。大雨になると10mから20m溜まるかもしれません、などと書かれています。
ハッキリ言いますが、こんなものはインチキ(非現実的)です。 堤防の高さが6mしかないのに、どうして平地に10mや20mも水が溜まるのでしょうか。過去にそんな洪水は起きていません。もし市街地が本当に10mも浸水するなら、それは「避難」ではなく「高台への集団移転」しか対策はないはずです。
もちろん、道路などが冠水する「内水(ないすい)氾濫」は起きますが、床下程度の水にいちいち驚いたり、パニックになったりする必要はありません。ゲリラ豪雨で家が流されることは絶対にありません。
平地の水害で「命が危ない場所」は2ヶ所だけ
地上のおうちが致命的な被害を受ける(命が危なくなる)場所は、実は以下の2ヶ所しかありません。
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2階の屋根まで水が深く溜まってしまうような窪地・盆地
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大きな河川の土手(堤防)から200m以内の場所
皆さんのご自宅がこの条件に当てはまらないのであれば、家の外に出て危険な水の中を歩くよりも、自宅の2階以上でやり過ごす方がはるかに助かる確率が高いのです。
「外を見て怖いと思ったら、絶対に出ない」が正解
現在、大雨の際には1から5段階の避難情報が出ます。もしご自宅を出て指定避難場所へ向かうのであれば、動いていいのは第3段階の**「警戒レベル3(高齢者等避難)」**までです。
レベル4(避難指示)やレベル5が出ている時、外はすでに猛烈な雨や浸水でとんでもない状態になっています。そんな中を安全に避難移動することなど絶対に不可能です。
実は、総務省のデータによると、**国内の洪水で亡くなった方の8割は、「家から出ていなければ亡くなっていなかった」**のです。 避難というのは、ただ逃げ出せばいいわけではありません。お年寄りの方などが「もう外に出てはいけない状態」になってから無理に外へ出て、濁流に飲み込まれてしまうケースが後を絶たないのです。
指定避難場所は「絶対に行くべき場所」ではない
指定避難場所は「全員が安全にそこへ到達できること」までは保証していません。あくまで非常に安全性の高い施設なので、**「皆さんの避難の有力な候補の一つ」**として上手に活用してください、という意味なのです。
水害避難における大原則は、**「絶対に足を濡らさないこと」**です。 「ちょっと行き着けないかも」と思ったとき、道中でサッと逃げ込める高い建物を確保していますか? この「バックアップ(逃げ道)」を用意していない移動は、「避難」ではなくただの「突撃」です。第一目標を目指すのは良いですが、危険を感じたら手前の建物、もちろんご自宅へ逃げ込んでも十分なのです。
避難とは、命を守るための「撤退戦」である
災害弱者の命を守る対策の目的は、「絶対に生き残ること」ただ一つです。 歴史が好きな方ならお分かりかと思いますが、戦(いくさ)においては、攻めることよりも**「逃げる(撤退戦)」**の方がはるかに難しいのです。
野球に例えるなら、大谷選手のホームランはすごいですが、イチロー選手のようにコツコツとヒットを打つことも大切ですよね。災害時も同じです。ボテボテの当たりでも、振り逃げでもいいんです。とにかく「アウト(死)」にならなければいいのです。「勝てないけれど、負けない(死なない)」戦いをするのです。
「籠城戦」のすすめ:孤立は恐るるに足らず
災害時に「孤立してはいけない」とよく言われますが、そんなことはありません。東日本大震災でも多くの方が孤立しましたが、「孤立したことそのもの」が原因で亡くなった方はいらっしゃいません。
要するに、**「籠城戦(ろうじょうせん)」**を上手に使えばいいのです。 水害のとき、ボートに乗って救助される映像をよく見ますが、普通の方であれば、周りが冠水していても1日か2日もすれば水は引きます。わざわざ外に出るより、おうちで少し時間を潰して待っていればよろしいのです。
名古屋市は、いち早く「在宅避難のすすめ」を市民に発信しました。皆さんの**避難の基本は「自宅」**です。自宅の安全度がゼロになることは絶対にありません。ただし、周りで火災が起これば逃げる必要がありますので、常に四方向の火災には注意してください。
「想定」に振り回されず、「自分たちのベスト」を知る
行政が出す10m、20mといった想定すべてに付き合うことはできません。 災害弱者の避難は、お尻を叩いて無理やり引っ張り上げることではありません。子どもでもお年寄りでも、言われなくても必死に頑張ります。だからこそ、それ以上に無理をさせてはいけません。
**想定(ハザードマップ)に自分たちを合わせるのではなく、自分たちの「ベスト・ベターの力」を知り、それを使えるようにしておくこと。**そして、その力に合わせて避難場所を自分たちで決めればいいのです。
指定避難場所は「定員オーバー」で入れない
以前、港区の保育園で実践的なシミュレーションを行いました。海抜0メートル地帯で、0歳児を含む130人の子どもたちを、500m離れた避難場所へ移動させるというものです。
しかし、目標としていた保健センター(指定避難場所)の定員は2000人。そのエリアの住民が全員押し寄せたらあっという間にキャパオーバーです。一番遠い場所にある保育園が到着する頃には、確実に入れません。 仮に入れたとしても、ぎゅうぎゅう詰めの大人たちの中に100人以上の子どもが入ったら、一晩中泣き叫びパニックになるのは目に見えています。
結果的にこの保育園は、マンションの上の階にある「使っていない空きアパート」を緊急時の避難先(バックアップ)として確保しました。避難所へ行くことをやめ、上へ逃げるという決断をしたのです。
避難時に一番大事なのは「体温を下げないこと」
避難したとき、一番大事なものは飲み物や食べ物ではありません。**「絶対に体温を下げないこと」**です。
体の熱が奪われ、芯の温度が33度を切ってしまったら、もう命を救うことはできません。さらに恐ろしいのは、体が冷え切った人を慌てて急激に温めると、冷え切った血液が一気に心臓へと戻り、ショックで心臓が止まってしまう**「アフタードロップ」**という現象です。 多少不便な思いをしても、濡れなければ、そして冷えなければ、人間はそう簡単には死にません。
「備蓄=特別な非常食」という思い込みを捨てる
人間は命を維持するためにエネルギーを消費しますが、数日摂れなかったからといってすぐに餓死することはありません。皆さんのお腹には「脂肪」という形で、たんまりとエネルギー(数十日分)が蓄えられているからです。
日常の買い物で「今週末は忙しくなるから、お菓子を多めに買っておこう」とやっていますよね? 実は、それこそが「備蓄」なのです。 今日突然、物流がすべてストップしても、家にあるもので3日くらいは何とかなるはずです。わざわざ高価な「備蓄専用食品」を買う必要はありません。私が指導した保育園では、備蓄を「全部お菓子」に切り替えました。それで十分なのです。
また、**水は何億年経っても腐ることはありません。**ペットボトルの賞味期限は「容器の耐用年数」です。容器が壊れていなければ中身はちゃんと飲めます。どんなに古くても絶対に捨てないでください。
最重要アイテムは「トイレ」
一番最後に、絶対にちゃんと準備しておいていただきたいのが**「トイレ」**です。 トイレは我慢できませんし、ものすごいストレスになります。どうしても流せない場合は、黒のゴミ袋に新聞紙や猫砂を詰め、用を足した後に凝固剤を入れて口を縛れば、燃えるゴミとして出せます。トイレだけはしっかりと準備しておくことをおすすめします。
現場で本当に使える「ドタバタイベント」マニュアル
行政や企業が作るBCPは立派ですが、現場には定着しません。そこで私がおすすめしているのが、自分の施設や家庭に合った**「ドタバタイベント」マニュアル**の作成です。
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想像できるトラブルをすべて書き出す(想像できないことは起こりません)
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縦軸と横軸でマッピングする
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トラブルを「事前解決」「アクションカード化」「諦める」の3つに分類する
これらを時系列に並べれば、現場で本当に使える実践的なマニュアルが完成します。
恐怖ではなく「自信」を持つための防災
皆さんも避難訓練をすると思いますが、**「大成功の避難訓練ほど危険なものはない」**と覚えておいてください。本番が大成功するはずがありません。 大事なのは、いかにして訓練で失敗を経験し、みんなで困って話し合うかです。人間は失敗からしか学べません。
「津波や地震を身近な危機として感じなさい」と説教する専門家もいますが、人間は常に不安や恐怖を持ち続けることなんてできません。 私の恩師であるテストパイロットは、「トラブルが起きたとき3秒以内に正しい操作をすれば落ちない。不安やパニックになっても良いことは何一つない」と言っていました。
防災において必要なのは、恐怖心を煽ることではありません。 自分の弱点や課題を洗い出し、それを解決しておく。そして**「いざという時、自分は何をすべきか分かっている」「リスクを取ってこう動けば大丈夫だ」という【安心と自信】を持つこと。**それさえあれば、全然大丈夫です。
おわりに:『保育施設の災害対応ガイドブック』のご案内
実は、こうしたお話を1年間に50〜60回以上、さまざまな場所でさせていただいています。しかし、すべての保育施設を私が直接回り切ることは到底できません。 そこで、これまでのノウハウを本にまとめようと中日新聞社に相談し、**『保育施設の災害対応ガイドブック』**という本を出版することになりました。
これは保育施設の方々だけでなく、一般の方々や、さまざまな「災害弱者」を抱えるご家族が読んでも役に立つように書きました。もしよろしいようでしたら、ぜひ皆様の防災の参考にしていただければと思います。
どうかご安全に。本日はどうもありがとうございました。