本稿は、社会学者の室井健司先生を講師に迎えて開催された「減災カフェ」の講義録です。テーマは「東日本大震災後の復興過程と社会の変化」。多額の資金が投入された宮城県南三陸町を事例に、大規模な高台移転や防潮堤建設といった従来型の防災・復興政策が、地域社会や生態系にどのような影響を与えたのかを検証します。技術で自然をねじ伏せるハード対策の限界を指摘するとともに、自然環境を活かしたまちづくり(Nature-based Solutions)という新たな防災の可能性について探ります。
テーマ:震災復興から環境変動適応へ
ゲスト:自然二元論を克服したい社会学者 室井 研二 さん
(名古屋大学大学院環境学研究科 教授/減災連携研究センター兼任・協力教員)
日 時:2026月8月3日(月)16:30~18:00
場所:名古屋大学減災館1階減災ギャラリー・オンライン
ファシリテーター: 鷺谷 威 さん
(名古屋大学減災連携研究センター長・教授)
ご提示いただいた文字起こしのテキストから、講演の核心となる「キーワード」と、印象的で示唆に富む「刺さる言葉」を抽出し、そこから見えてくる「論点」を整理しました。
1. キーワード(重要な概念)
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復興の矛盾(大規模な資金投入と人口の激減)
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高台移転(大規模集約型の市街地 vs 小規模分散型の漁村)
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居住と商業の分離(機能的だが利便性と賑わいが低下)
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コミュニティの分断(世帯の分離、自主防災活動の停滞)
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生活のニーズと経済のニーズの対立(地元住民の生活 vs 観光客向けの商業開発)
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女性・子育て世代の視点(日常の生活環境・保育所の不足)
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巨大構造物による生態系の攪乱(防潮堤による地下水・栄養分の遮断)
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Nature-based Solutions(自然を活用した解決策)
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ハード対策偏重の限界(ハザードを技術的に抑止する防災の限界)
2. 刺さる言葉(印象的なフレーズ)
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「それだけ大規模な復興事業、多くの公的資金を投入したにも関わらず、人口が最も流出している」 (復興政策の根幹を揺るがす強烈な問題提起)
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「以前のごちゃごちゃした街の魅力が失われた。家以外何にもないとガランガランじゃないですか」 (区画整理され綺麗になった街が、皮肉にも生活の温かみや賑わいを奪ったという住民のリアルな声)
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「観光客ばっかり見て、地元の人のことちっとも見えてない」 (復興のシンボルとなった商業施設に対する、生活者としての本音と不満)
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「津波のリスクは軽減されたが、社会の脆弱性っていうのはむしろ高まっちゃったんじゃないのか」 (安全な高台に移ったことで、逆にコミュニティが崩壊し、孤立や新たな災害への対応力が落ちたというパラドックス)
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「津波は海を浄化したが、大規模な構造物(防潮堤など)が生態系を攪乱し、汚してしまった」 (人間の手による「防災」が、豊かな海の恵みを奪ってしまったという自然界からのしっぺ返し)
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「突発的に発生するハザードへの対策というよりは、もっと自然と社会の日常的な繋がりをどう取り戻すか」 (今後の防災・減災に向けた、根源的で新しいアプローチの提示)
3. 論点整理
テキストで語られている課題と教訓を、4つの大きな論点に整理しました。
論点①:従来型の「巨大インフラ・ハード偏重」復興の限界
国主導で防潮堤の建設や大規模な高台移転が行われ、津波に対する「物理的な安全性」は確保されました。しかし、それと引き換えに街の利便性が著しく低下し、結果的に被災地の中でも突出した人口流出(3〜4割減)を招いてしまいました。ハザード(災害)を技術とコンクリートでねじ伏せようとする従来型の防災には明らかな限界が来ています。
論点②:「生活者のニーズ」と「復興経済」のズレ
住民が本当に求めていたのは「医療・住宅・子育て環境・日常の買い物」でしたが、復興政策では外貨を稼ぐための「観光拠点(さんさん商店街など)」が優先されました。これにより、若年層(特に女性)が「住み続けたい」と思える環境が整備されず、世代の分離と人口流出を加速させる要因となりました。
論点③:コミュニティの喪失が招く「新たな脆弱性」
漁村地区では昔ながらの共同体(契約会など)が機能し、集落単位でのまとまりを維持できましたが、市街地では抽選による仮設住宅への入居などでコミュニティがバラバラになりました。結果として、高台移転後も住民同士のつながりが希薄になり、自主防災活動が停滞するなど、ハード面は安全になっても「社会的な防災力(ソフト面)」が弱体化するという矛盾が生じています。
論点④:自然との共生を取り戻す「新しい防災(Nature-based Solutions)」
巨大な防潮堤は地下水の流れを遮断し、海へ流れるはずだった栄養分を止めてしまい、結果的に漁業や生態系にダメージを与えました。この反省から、南三陸では現在、環境配慮型の国際認証(FSC林業やASC養殖など)の取得や干潟の再生など、「自然を活かした社会課題の解決(ネイチャーベーストソリューション)」が草の根で始まっています。これからの防災は、自然と敵対するのではなく、自然との「日常的なつながり」を取り戻すアプローチが必要とされています。
ご提示いただいた文字起こしデータをもとに、講演の要点と質疑応答をまとめた「講義録」を作成しました。誤変換と思われる箇所(地名や専門用語など)は文脈に合わせて修正・補足しています。
減災カフェ 講義録
テーマ:東日本大震災後の復興過程と社会の変化〜南三陸町の事例から〜 講演者:室井 健司 先生(社会学)
【講演内容】
1. はじめに:大規模復興事業と人口減少の矛盾
本講演では、防災対策そのものよりも「災害や復興政策によって被災地の社会がどう変化したか」という社会学的な視点から、今後の防災のヒントを探る。 東日本大震災の被災地である宮城県南三陸町、女川町、山元町では、10年間で3〜4割と突出して人口が減少した。これらの地域は、住民1人当たりの公的資金投入額が非常に大きく、大規模な復興事業が行われた地域でもある。「大規模な投資を行ったにも関わらず、最も人口が流出している」という矛盾がなぜ生じたのか、南三陸町の事例を中心に解明する。
2. 避難期から復興期へのプロセス:漁村と市街地の比較
南三陸町には、商業中心の市街地(志津川地区)と、漁業中心の漁村(歌津地区など)がある。復興過程において、両者には大きな違いが見られた。
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漁村(歌津地区): 震災直後から「契約会」などの伝統的な自治組織が機能し、集落単位での避難生活や仮設住宅の運営が行われた。まとまりを維持したため、比較的早期の流出は抑えられた。高台移転にあたっても、まちづくり協議会を中心に住民が主体的に活動したが、行政に提言が反映されず、次第に疲弊・形骸化していった。
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市街地(志津川地区): 個別避難が中心となり、抽選による仮設住宅への入居などでコミュニティが分散した。特に町外(登米市など)の便利な仮設住宅へ移った層は戻ってこないケースが多かった。復興にあたっては、行政主導で大規模な集団移転地に住民が集約されたが、用地買収の遅れなどから住宅再建が遅れ、人口流出が加速した。
3. 復興政策の課題:「生活のニーズ」と「経済のニーズ」の対立
国の方針に沿って「居住地は高台、沿岸部は産業用地」という職住分離が進められたが、これが様々な問題を引き起こした。
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観光特化による生活利便性の低下: 復興のシンボルとして「さんさん商店街」などの観光拠点施設が整備された。これは交通の要所にあり、外部からの観光客で賑わっている。しかし、かつての「ごちゃごちゃした街の魅力」や「近所で日常の買い物ができる環境」は失われた。
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女性・子育て世代の流出: 多世代同居が減少し、世帯の分離が進んだ。保育所の不足や遊び場の減少など、子育て環境への配慮が不足していたため、特に女性や若い世代の定住意向が著しく低下した。生活者のニーズ(医療、住宅、子育て)と、事業者のニーズ(観光開発)が対立し、結果的に生活環境の魅力が損なわれた。
4. 防災・生態系への影響と新たな防災の視点
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社会の脆弱性の高まり: 高台移転により津波リスクは軽減されたが、コミュニティの分断や高齢化により、自主防災活動は停滞している。また、小規模移転地では進入路が狭く、火災や土砂災害時のリスクが新たな課題となっている。
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巨大構造物による生態系の攪乱: 津波直後は海が浄化され漁獲が向上したが、その後の巨大な防潮堤建設などにより、山や川から海へ流れる地下水・栄養分が遮断され、海の環境が悪化しているという指摘がある。
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希望となる動き(Nature-based Solutions): 近年、南三陸町では自然環境を活かしたまちづくりが草の根で始まっている。干潟の再生に向けた高校生と研究機関の共同調査や、環境配慮型の国際資源管理認証(林業のFSC、養殖業のASCなど)の取得が活発化している。自然の価値を再認識し、誇りを持つことで後継者が増えるなどのポジティブな効果も生まれている。
5. 結論
ハザード(自然現象)を巨大な構造物で技術的に抑止しようとする従来の防災には、生態系の攪乱や生活環境の悪化を招くという明らかな限界がある。これからの防災・減災は、気候変動も視野に入れ、「自然と社会の日常的なつながりをどう取り戻すか」という、自然を活用した解決策(Nature-based Solutions)の視点が重要になる。
【質疑応答】
Q1. 復興住宅(大規模移転地)における自主防災活動が停滞しているとのことだが、住宅の形態(集合住宅か戸建てか)の影響はあるか? 室井先生:南三陸町は比較的恵まれており、災害公営住宅も平屋の戸建てタイプが主流。一方、女川町などは大規模な集合住宅タイプが多く、住民同士の交流が全くないケースも多く悲惨な状況がある。南三陸町でも、公営住宅には自力再建が難しい高齢者が多く集まっており、自治会等のコミュニティ形成は困難を極めている。見守りなどを民生委員に頼らざるを得ないのが実情である。
Q2. 人口減少を防ぎ、町へ戻ってもらうには「なりわい(仕事)」の確保が重要ではないか。町の将来像についてどう考えるか。 室井先生:かつては漁業と他の仕事を組み合わせた兼業生活が成り立っていたが、震災でその仕組みが壊れた。利便性や都市的な産業誘致を追求しても、元からある都市部には勝てない。町の人々(特に若い世代)が自然環境の魅力に触れ、地域への愛着を培っていく教育や、前述の環境配慮型産業への取り組みなどが、長期的に見て町の持続可能性に繋がるのではないかと考えている。このような「地方の危機」は被災地に限らず、日本全体が抱える課題でもある。
Q3. 国の「復興庁」の存在意義や評価について、現場の声はどうだったか。 室井先生:長年調査をしてきたが、現地の住民の口から「復興庁」という言葉が出たことはほぼ皆無である。国が大きな予算や仕組みを用意しても、現場(自治体や集落)の末端までは見えづらい、遠い存在になっていたのではないかと感じる。今後新設される「防災庁」が、現場から見える形で機能する組織になるかどうか、注視していく必要がある。
司会よりまとめ 本日は、東日本大震災の復興過程における問題点と、将来に向けた自然との関わり方についてお話しいただきました。災害と復興は繰り返されるものであり、より良い復興のあり方を今後も考え続けていく必要があります。次回の減災カフェは9月7日(月)を予定しております。本日はありがとうございました。
iPhone
よくいたしました。
後ほどご本人からもご紹介ありますけれども先生最近この震災復興と開発という、なかなか大変。
あの分厚いあの本で先生が、外部が長年にわたって取り組んできた研究成果を求められていらっしゃいますそういったことも含めながら話をいただいてその後皆さんとのやり取りを通して、いろいろ質問していきたいと考えておりますということで会場の方にあのコミュニケーション区カードをお配りしておりますので、お話の途中でも書いていただいて挙げていたなければ係の者が受け取りますのでどうぞ順次提出をお願いいたします。
またオンラインの方私の途中でも、あのQ&Aの方に入力いただければ、後ほどこちらの方でご紹介して参りたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
では、そうしましたら、室井先生の方から最初お話を伺っていこうと思います。
よろしくお願いします。
そう。
だろ初めましてと言いますか室井と申します今日はよろしくお願いいたします。
以上です。
ですね私はあの専門が社会我空でしてなので、ちょっと従来の防災の話とは少し、あの軽量が違うやってるのではないのかなというふうに思ってます。
私はだから、防災対策をどうするかっていうことよりも、災害によって社会がどうこう変わっていくのかと変わったのかとそういうようなことに主には関心があります。
それに、伊藤幸次災害によってっていうよりも、災害後の復興政策ですね、復興政策によって被災地にどういうふうな変化が生じたのかと上なのをどちらかというとちょっと批判的なスタンスから検証を行いそしてそういうところから何か防災のヒントに大事なものがエラーれないかなとそういうふうに考えております。
それで今紹介にあずかりました著作は東日本大震災後の被災地の復興を取り上げたものになります。
この本の中では東日本の被災地で三つの地域を取り上げているんですが、それが宮城県の南三陸町女川町山元町という。
地域になります。
なんでこの三つなのかという言いますと、これちょっと見えるかもしれませんが、震災後にですね人口が非常に大きい減ったという。
地域なんですね人口の増減率っていうところを言っていただきたいんですが、他の被災地と比べてですね、南三陸とか山本では10年間で3割ぐらい人口が減ってるし女川にいたっては4割近くの人口が減っております。
これはあの震災で亡くなった方の外ではなくって、その震災後の復興過程で人口が流出したというふうに考えることができます。
さらに言うと、この三つの自治体他の被災地よりもかなり大規模な復興事業があの実施されたということです。
細かな数字が出てますが、人口1人当たりのそういう復興にかかったお金みたいなものを見るとこれもかなり突出しておりましてつまり、それだけ大規模な復興事業それだけ多くの地域人を公共的な資金を投入したにも関わらず、人口が最も流出しているっていう何かある種の矛盾を示している地域なのかなとを持ってどうしてこういう事態になったのかっていうことを解明したいと思って調査に取り組んだわけです。
今日はその中でも南三陸町のあの事例を取り上げたいと思います。
あとそれとあの結論を先に言いますとどうなんすかね私はなんか最近気候変動とかそういうことにちょっと関心を持つようになりまして。
防災っていうのも特定のハザードに特化した対策というふうに捉えるというよりも、どういったですかね大きく地球レベルで環境が変動しているんですがそれにどううまく適応していくかっていう。
なんかそういう観点から今後は防災を考えていった方がいいんじゃないのかなというふうに思っておりましてちょっと先に結論めいたことを行ったということです。
あの報告の狙いということで、そういうどうして大きな大規模に人口が減ってしまったのか政策の何があの問題であったのかっていうようなことですね。
そして復興事業が完了した現在どうなってんのかというようなあるいはそれを踏まえてどういう防災の教訓を汲み取ったらいいんだろうかとそういうことを考えてみたいということです。
今地図がありましたがちょっと急に隠れちゃってますけど、南さん三陸が宮城県の沿岸部でもちょっと北の方で、この南三陸と翁長はとにかく大変高い津波が押し寄せて、例えばですね、南の山元町はもう福島との県境、のところだから、だいぶちょっと状況とか、違う。
ですね。
からのさっき先ほど人口減少がもう2割超えて、何千人という単位。
人口が1万とか2万ぐらいの街で、そこだけそれだけ減っちゃうっていうのは、全部被災してるっていうことあってもかなりやっぱり少し以上というか、特別なことが起きてるというふうには見えるんですかね。
そういうふうに今、はい指摘した場合たように南三陸町女川町、いわゆる三陸リアスに指定漁業を基幹産業とした地域で南の平野部とはかなり地形も産業も異なった地域になりますあの取り上げる南三陸町ですが四つの地区が2005年に合併して今の自治体になっております。
この報告で特に注目したいのがあの志津川と書かれている地域と、一番北側の宇多津地区になります。
鵜沢っていうのが南三陸の拠点地区でして、いわゆる市街地が広がっているという箇所、商業地区みたいなのが広がって、人口も最も多い。
地域です。
それに対して宇多津っていうのは漁業、漁村が集積してるっていうか、漁業を基幹産業とする地区として震災後の人口地区別に示したのがこの間のグラフになるんですが、5拠点地区である志津川その銀行が減っているということで、ここで全地区であるがゆえにあの震災後に大規模な復興事業を行ったわけなんですがそこで最も人口が減っていって、ある意味何も行われなかった歌ZOOあんまり減ってないというようなことでしてどうしてこういう状況が生まれたのかっていうようなことをこれからちょっとお話したいということで災害が起こってからちょっと時系列に沿って簡単にお話していきたいんですがまず災害が起こった直後の緊急対応なんになります。
ご存知の方もおられると思いますが3時空っていうのはこれまで度々大きな地震津波に行われ襲われてきた地域でしてだからいわゆる災害の記憶っていうかな経験が継承されて独自の災害文化を発達させているというふうに言われております。
今回は想定を大きく超える審査それが災害が起こっちゃったっていうことで従来の災害三陸の濃さ、災害文化のも限界が露呈したんじゃないのかと、そういうことがよく言われる2人そして、そういう理解に立って大規模な高台移転事業というのが進められたりしたんですがでも実際に調べてみると、多数の方が亡くなったんですが死者が多いのは、沿岸の予想ではなくって内陸の住宅地です。
これはあの南三陸だけじゃなくって女川とか気仙沼でも基本的に同じようなことでして。
だからあの災害文化がうまく機能しなかったっていうよりは、防潮提を過信して逃げなかった人たちが流されているというのが基本的な認識なんだろうと先ほどのこのピンクのところが津波で浸水した。
どこまではい周りだって新井田っていうのが最も被害が大きかったところがもうすぐ後ろが山みたいですよ。
そうです。
まさかここまで来るとは思わなかったというわけです。
二つの集落でそれで80人、そうですね大変なってるんですね。
住宅地です。
というようなことになります。
それに対して業務を割と活発にですね助け合いというか、対応が行われたということで沿岸が意外沿岸部の被害を受けてるんですが沿岸部の人たちは山ですね他の集落なんかともいろんな繋がりがあるんですよね。
今いろいろな虫放さんとか痛恨県でもあるんで親戚関係が張り巡らされていてだからこういう沿岸部でこういう大きな津波なんかが起こった場合には、いやの人たちがそれに支援すると逆に山で何か火事が起こったりする沿岸部の消防が駆けつけるみたいなそういう観光みたいなのがやっぱあったようですよねだからこの東日本大震災のときも宇多津地区なんかだと、もうすぐ動いた後1時間後ぐらいにはもうみんな集まって炊き出しを行ってたんだというようなことでした。
さらにその後、あの避難所生活さらには仮設住宅へというふうに避難生活が続くわけなんですが、漁村と市街地とではその対応の仕方が非常に違ってたということが多かったということで、いわゆる漁村地区ではあの契約会っていう名前出してるんですけども向こうではもう自治会とか町内会ってなんかなかった。
今最近出来たらしいんですがそういう契約会っていう名前で自治組織の補填を受けてそれは町内会なんかちょっと基本的には異なってて、地区で共有今日共有財産というんですかね。
今日共有地みたいなものを持って、それを地域の共同財産として管理したりしているわけです。
あるいは反応反響って言って漁業が主な生業なんだけれども狭い畑とかそういうのが海岸部にも広がっててですね、そういう土地があるとそういう集落の土地とかそういう農地なんかをスタッフてそこで避難所生活を共同で送ったり、仮設住宅もそこで自分たちで整備したりして、ブラックのまとまりを維持したまま避難生活を、こう続けたとそういうなのが人口の流出をある程度抑えることができた理由なのっていうのはことでしたねそれに対して、市街地はもう基本的には個別に避難した世帯ごとに個別に避難して誰がどこに行ったのかっていうのはもうわかんなくなったと。
それで大体もう元のあの地区っていうのはなくなったということです。
避難所生活もそうだし、仮設住宅も南さん女もそうなんですが南三陸町が大きかったっていうこともあって、町はもうあの町内の仮設住宅だけでは足りないということで登米市、隣の自治体の方にもうあの仮設住宅を多数整理してですねだから多くの町民は町外で避難生活を起こるということになってそういう登米市こういう仮設住宅って結構便利なところにでですね大型ショッピングモールの企画なんかにあったりしてだからそこに出て行った人はもう帰ってこなかったというケースが多かったと。
仮設どこの仮設住宅に入るのかっていうのも基本的抽選で決めたんで、元の地域の関係っていうんですかねまとまりみたいなものがばらけてしまったとそういうような関係を保った共存と市街地とではそもそも避難の形態がだいぶもう全然名古屋なこれが都市的な地域で住まれてる人にあんまりイメージしにくいかもしれませんが集落っていうのはすごくまとまりを持った地域の単位としてあります血縁なんかとも、絡み合ってですねだから、こういう地域では逆にそういうのをちゃんと見て、対策が必要というか重要になるんだろう。
続いて復興計画が策定されていくことになりますねいろいろな体会議体がもう設置されたりしたんですがこの南三陸町っていうのは自営業のあの方が非常に多い地域です市街地なんかも住宅とちっちゃな商店理恵の商店なんかが存在していてですね、漁業も自営業でやってたりする場合が多いんでそういう地域なんですが、国の復興政策の方針っていうのは高台に居住地は高台に移転させるとあの海岸は居住禁止に指定産業用地としての有効活用するっていうような方針を出したわけですね。
それがこういうJ業者が多いこういうふうな地域で、果たしてどうなんだというようなことが計画策定の段階でも議論されたんですが結果的には今日が国のの方針に沿ってですねそういうこの方針を決めていったということです。
居住地は高台によって指定津波の危険を回避すると沿岸部はかさ上げしてですね、産業用地として有効活用するとそういう食住土地利用を黄色と自由に分離させるというねそういうそれをそういう形でですね集約をすることで、で効率的な自治体運営を目指すというか持続可能性を目指すっていうようなことを掲げたということ。
です。
あと町として震災の後ですね三陸自動車道のあの建設事業っていうのが前倒しされたりしたわけでそういうなのもこういう被災地の復興に大きな影響を与えたということで、居住地の高台移転に関してはあの市街地は石津川の市街地は大きな集団移転地にもう人を集約するっていうやり方を鳥居ました。
あの赤で丸くっていうところに三つほど住宅地があるんですがそこに全部まとめるということですよねそれに対して、漁村地域はもう集落ごとの集落移転そういう小規模分散型の高台移転っていうのが進められたということです。
その市街地の高台移転等予想の高台移転とその後の推移がずいぶん違ってたっていうことですね宇多津漁村地区である歌そうですね契約会というのがあったんですがその震災の後ですね高台移転をするということでまち作り協議会っていうのを設置いうことになったわけですね宇多津ではその契約会の連合組織がそのまち作り協議会の母体と成って、その契約会の会長予算なんかがイニシアチブをとる形で、非常に活発な活動を展開してきましたね宇多津の場合は、自分たちの集落がどこに移転するのかっていうのを自分たちで決めたということです。
いろいろなですね住民のニーズなんかを独自に把握して広報誌で共有したり、災害の記録集みたいなものを作ったり災害ボランティアとの交流事業を行ったり町のの復興施策にいろんな提言を行ったり、あの日に活発な活動を繰り広げていったのですが、しいやっぱり住宅再建になるとどういう世帯構成かだとか、経済的な条件どうなってるのかっていうようなことでちょっとやっぱりまとまりはやっぱり弱くなっていったり、あるいは、より重要なことはいろんな提言を出したりしてるんだけれども校長がそれを施策に反映してくれないっていうことなんか無力感を感じてなんかやる気がなくなっていったとという経緯をたどったということです。
これ聞き取りの方でいいですがそういう協議会の運営を巡って、町がやろうとしてることに反対するような人が何か外されるというようなとは何かあったという。
なんか集まらなくなっていったんだっていうそれに対して市街地にし大規模集約型の高台移転をしたところではでもまち作り協議会は結成されたんですが、これは町がもうメンバーを一本釣集めたということでしただからあのメンバーがいろんな地区を代表してるっていうわけではなく、いろいろな仕事を職業とか活動してる人が町の移植で選ばれたっていうことです。
かつ高台移転地の場所とか協議会の活動内容っていうのはもう先にも町の方で決定してるっていうことだからなんてあんまりですねなんかメンバー山崎くん、あまりやる気が起きないというようなことでちょっと停滞した状態になっちゃったっていう。
それと大規模集団移転地なのであの用地工場なんかがやっぱり時間かかったり、そう時間がかかるともやっぱり外に出ようというようなことで入居希望者が減ったりですねなんかそういうことで、そういう漁村地域に比べるとそういう住宅の再建が、あの市街地の方がやっぱ遅れたとそういうことにもなっていきました。
議事録なんかをいろいろ読んだりしてたんですけれども、高台移転に反対する人はそんなにはいなかったようながどこに移転するかっていうことに関して言うと、多くの集落ではやっぱり集落の近くの高台に集落単位にいた移転したいというような意向を示す場合が多く負担という。
あの静岡でもそうだったっていうようなんですけど時間がたてばたつほど、以降は変わって、どんどん人が出ていってるっていうようなことも、議会でいろんな発言を続いて産業とか経済の発生体験なんですがこれが何、何て言うんすかね一番目玉になった事業っていうのがありましてそれがし、新しい商店街の開発っていうことでこれ通常の商店街とは違って、観光拠点施設みたいな外から来る人たちをターゲットにしたあの商店街が整理されたという。
これがマンションシンボル事業みたいな位置づけになってきたところです。
震災の直後に、町はあの競技を対象とした調査を実施してるんですが、町民がそこまち作りに望むこととして一番あげてたのはこれとか医療とか、あるいは漁業とか住宅とかそういうことだして観光っていうのは非常に優先順位は低かったんですが、その復興政策としてはこれが非常に重視されたというようなことです。
何でこういうことになったのかっていうようなことをいろんな人に聞き取りをしたんですけれどもやっぱり町外で避難生活をする人が多かったしたこともあって、あの商店主の人たちがですね仮設商店ですかね仮設商店街っていうのを震災の後オープンしてですね、何とか復興相中なことをしたんですがそこにあの元の地域の住民の人たちはだからあんまりこんかったと、それに対して全国からいろんな観光客とかボランティアに行って普段は投資かけて何か見れますかっていうことでかつどんどん銀行が降り出してるっていうようなこともあって、商店主としては一応だけに目を向けていく。
一旦では商売が成り立たないというそういう判断になっていったとかつ3連休自動車道が計画よりもかなり前倒しに開通すると、これはある意味チャンスだというような認識にもなっていたようです。
それとこういう土着的な地域では非常にいろんなインフォーマルな人間関係が張り巡らされていました。
特に産業界のいわゆる名刺と言われてる人たちがいてですねそういう人たちは非常に大きな発言だと思ってます。
やっぱり行政とか通常の場とも繋がりがあってですねいろいろと働きかけもできたというようなことということですだからこの新しい商店街さんさん商店街と言いますがこれは本当に交通の要衝に設置されております。
住宅はわかれててそれでその町民は、だからあのスーパーって書いてますがスーパーが一応体験されたんですがこっちの方に行って山山商店街に行く人はほとんど見ません。
調査中されたスタッフ必ず町民でここに上に来てるという2.3%とかなんかそんな表示でほとんどが観光客が、でもそれですごく賑わっているという。
ということになります。
地図なんかで見ても、かつてはこういうあの店と家があそこ存在してたのが、今あの店だけことで非常に景観も大きく変わった。
元は、今から地元にこれだけ人が普通の街中に住んでて、その人たちが暮らすための焦点がそこにあって、そうですね本当基礎そういうところだったのが、家はだからいい店で離れたけどしかも残った商店ってのは今度地元の人向けじゃなくて。
観光客向けになっている商店も必ずしも地元の所材料もないんですはいはいその人がはいやっぱりその競争力っていうか持ってる商店がやっぱりここ絶対その新商店街をすぐしちゃいかんっていうようなことで年末に選ばれています。
ただ元々のいっぱいあった事例の焦点も同じななんていうんですかねやっぱり後継者いないということで徐々に文章を進めたりする動きがやっぱあったわけでそれが一挙に9級スピードで進んだというような感じで今どうなってるのかっていうようなことそういう観光開発がやっぱり一応成功したというふうに言えると思いますんでそういう新地商店街で非常に右があって、メディアでも取り上げられてるんですがそして高台移転によって明らかに津波のリスクは減ったんですけれどもやっぱりあの生活の利便性を明らかに低下したというようなことです。
それと、高台移転したことで世帯の分離が進んだということです。
ここの地域、特に南三陸町みたいなところは多世代同居率が本当に高い。
地域でしてアンケートをとったんですが4割ぐらいの震災前は立った世代夫婦だったのがそれが10ポイント以上低下したということ主体が分離したしコミュニティもさっき言ったような事で特に市街地なんかで分解したというふうに言ってよろしい。
生活の利便性なんかに関してもアンケート調査をとったらもう特に南三陸でそこの悪化が顕著に現れておりまして。
特に公共交通の便や高台に移転してるんで、するということですね聞き取り調査とかアンケート調査の自由記述欄にも、のことは、数多くの次長が言及しておりまして、こういうような不満というか問題が指摘されております。
特に課題の中でも災害公営住宅に入居している高齢者なんかは車ないので、非常に困った状態になってると。
かつ開門の電気だけじゃなくてやっぱりやっぱりあの近くに買い物があると人が集うというかそういうのがやっぱに何かまちの賑わいというか魅力だったんだけれども、今はもう車であのスーパーに行くか、隣の隣町のをモチーフにもうに行くかみたいな感じで、なんか寂しくなったと二つ今でもなく150店舗ぐらいが入るようにしてますんで。
それだけ人口が減ってるってことですよねこの方、ちょっと印象的だったんで引用してますが、今楽しくないという。
そうですね。
以前はちっちゃい商店やらなんやらがいっぱいあってそれがなくなったと。
例えば、昔だったら八百屋だったり駄菓子屋だったり、が近くにあってだから足の悪いおりちゃんなんかも一品で買い物ができたとそこで人とのやり取りや賑わいができるんだとしかしそういうのがなくなっちゃったと。
家以外何にもないとガランガランじゃないですか。
以前のごちゃごちゃした街の魅力が何か失われちゃったの万博一方だけどそれだけでは町にいたいと思わない。
だから出て行っちゃうんじゃないですか。
無駄がなくなって歩けないっていうでもやっぱり商店主とすればやっぱり商売成り立たないと自分たちもやっぱり生活が成り立たないわけなんですね。
だからそういうちょっと本音の部分も結構駄目あの話していただきました。
この商店街は話題性もあって多くの観光客が突然私自分が何か町の人からよく批判されたり知ってますというようなこと言われてました。
あの観光客ばっかり見て、地元の人と人のことちっとも見えてないんじゃないかということで何か政治家なんかとツルンでやりすぎだといろいろ悪口言われてることは知ってます。
だけど、ぐらいですかね。
今1万7000人いた町が今一万2000人って今、いや1万人になろうとしてる。
だから、とてもじゃないけど、町の人を盾を開いて、最初にしていた商売が成り立たない、交流人口をしないことには向かないです。
だから、どっちがいいんだっていうわけでもないんですがそういう生活とか教授のニーズと、そういう三洋とか経済のニーズが対立してしまった。
商店主の方がでもやっぱり政治的に働きかけるルートはいろんな繋がりがあるので頭に対して、一般の住民はそういう姿勢逆に自分たちのニーズを反映させる仕組みがなかったということで、やっぱりそういう観光開発がちょっと前面に出ていくような感じになっちゃうんですけどもです。
生活のニーズっていう点で、ちょっと興味深いと思ったのは女性の目線っていうか、男性と女性で現状評価がずいぶん違ってたっていうことなんですね。
中石井なんかここの地域にずっと住んでいたいですかっていうようなことを聞いたりしてたんでしたんですが、あの女性で体っていうか明らかに男性が少ない。
ですよね特に子育て世代ぐらいの女性低い。
聞き取り調査なんかも何人かの方に聞いたんですがここはだからかつては世代同居で子育てしてたというようなことです。
ところがそういうふうに世帯が導入したとかつ震災の後共働きが増えたり、その一方で保育所がやっぱり十分整備されなかったというということになった。
住んでたっていうのは男性だと45%だけど女性は27%ですね。
やっぱり世代的にはね高齢の方はずっといたいんだけど若い方になるとそれがもう非常に低くなっちゃってますね。
ね。
やっぱり居住と商業事項を開けるっていうのはなんか、機能的には合理的なのかもしれんけど子供もうの遊び場みたいな、ほとんどなくなったっていうか公園はあるんですけども、これまで一応いけないっていうか、年齢はやっぱり魅力がやっぱり出ちゃったっていうのはありませんねこういう育ってとか子育て環境みたいなものが今回のその復興政策の中ではあんまり配慮されてなかったんじゃないかっていうことが一つ反省前かな。
こういうインタビューなんかもありまして、ですかね。
子供を預ける場所がない。
特に自営業なんかだと、難しくて役場に相談に行くと何か隣の止市の保育園を紹介されたとか。
医療も非常にはいそういうようなやっぱり人口が流出した要因の一つにはやっぱりなってるんだけど震災後の防災については、高台に移転して、津波リスクは軽減されたんですが、右側にグラフがありますけれども今後この地域でどういう大きな災害が起こる。
思いますかみたいな何かそういう質問をしたんですが、女川とか南三陸とかそういう高台移転をした地域で割と土砂災害に対するOneっていうのがなくなってる山火事が起こる可能性っていうのもやっぱりあるわけなんですが最近はなくなったら安全率野生動物なんかも何もしますけれども漁村の小規模移転地なんかでは、道がないというか違う所がないというのが結構大きな問題になってます。
つまり、普通に高台移転地に入る侵入道っていうのはあるんだけれども道が細いね。
すれ違えないんですよねだから、もし土砂災害が起こったり火災が起こったりしたときに下から救急車が車両が上がってきたら、上から下にちょっとを入れないというか、すれ違いないので、だから何とかして欲しいっていうような期待がなされたりしたんですが他の震災交付金事業にはそういう想定はないんで、お金がでないという。
解決されない。
市街地の大規模移転地の場合は自主防災活動の前提となるこの住民同士の繋がりみたいなのがやっぱりできてないんですね。
コロナにも襲われたっていうこともあって、だから防災活動が新陳代謝状態にかつてあった加藤浜の総合支援っていうのはそもそもあまり人がいなくなっちゃったっていうこともあってそういう災害文化なんかもいうことで、津波の場造成は減少したんですがそういう災害に対する社会の脆弱性っていうのはむしろ高まっちゃったんじゃないのかっていうのが現状かなと思います。
そこは志津川湾だと3ヶ所ぐらいにまとまって拡大という人そこは元々どこに住んでたかってのはあまり関係なくここに置いてもらって抽選で他の二つとか。
そっちの方だと変わってないんです。
同じ集落が場所が変わってます。
そういう考え地区ごとの特性の違いで何かこういう石防災活動の違いがあるとか、その辺りは昔あんまりそこまで詳しくは調べてないんですが除外の地域は基本的にそんな変わってないんでまとまればいいですね地域の行事なんかやってるんだけどただ、戻ったからやっぱりちょっと防災活動に関しては、何かモチベーションはなんか手出してるっていうようなそうですね。
愛知やっぱり役場の人も言ってましたけど、やっぱり一番防災に関しては、4月のはいそういうようなことはわかったということでこっから先はその先ですちょっとだから環境とか地域の生態系みたいなことに最近ちょっと関心を持つようになったん震災後のああいう大規模な復興防災事業が地域の環境とか自然に近いような影響を与えてるっていうことを、最後にちょっとお話したいと思いちなみにですね津波は非常に大きな被害をもたらしてるんですが自然に目を向けるとむしろ自然海が浄化されたっていうか、汚れ海底に触ってたんで、皆さん道路が汚れがBになったというかそういうようなところがやっぱあったようです。
だから津波が起こった後ワカメが非常に生育が良くなって大量に取れ取れたとだから、割と高収入なんかも硫酸得られたということですねそれと干潟とか湿地があの再生したとかそういう埋め立てて住宅地にして提案なくなってたようながまた元の姿に戻ったということで、あの生物多様性という観点では非常にポジティブな変化をもたらしたということですけども漁業に関してはその船名が船流されて辞めた人も多かったんですが、あの養殖業なんかはカジノ飲食なんかも非常に子育てが良くなったとというような話は聞きます。
問題は大規模な構造物を建設したことがそういう評価された運用さらに、ちょっと汚してしまったと。
そういうようないうことで、あります工事のタクシーがなんばってやっぱも張り流れていたりですね。
漁師さんなんかが冬の海の栄養がなくなってきてるっていうような話をよくされるねどういうことなのかっていうようなことをよく聞いたりしたんですがまず水の量が減ったとかを流れる水の量が明らかに減ってるっていう僕はコンクリートで固めたから水が地球に新婚進行がなくなってむしろ増えるんじゃないのかというふうに思ってたんですけど、薬らしくて川の水っていうのは地下水が湧き上がってくるっていうか。
流水みたいなものを提供してるんだと。
川沿いには田んぼなんか変わりちょこちょこあったりしてて、稲なんかはそういう土中1にいろんな影響うんね供給するねだから水がそういう栄養分を川に何か今ですねそれが生物診断可能定期にも影響を与えたんだけれどもそういうのがやっぱりなくなったと。
野内ももうだから今亡くなりましたんで、コンクリート防潮堤も高いだけじゃなくて、もっと地下はもっと矢板を打ち込んでるんで地下水が海に出ない。
いう。
そういう栄養分を含んだ水がに流れなくなってるっていうようなことが結構モバイルとかですね、内訳とか。
そういうことに影響するんじゃないのかっていうことが、震災の何年かあってから数年間料金問題にはされてたんです。
ただ、それが防潮提の影響なのかどうなのかっていうことを考えてに検証するっていうのは、やっぱ難しくて何かよくわからんとでも明らかにちょっと変わってきてるっていうようなは言われておりましたところが2018年ぐらいになってくると、オンラインカードの影響がもう明らかに表れるようになって、それはそれで非常に徐々に大きな影響及ぼしてるんですが、ただそういう防潮提なんかの話との関わりでいうと温暖化の影響が一面的に強調されるようになったことで、最後のああいう構造物対策が生態系に与えた影響みたいなものが忘れられるようになっているっていうようなところもあるいは温暖化の影響で結構黒潮の状況が変わったりすると当然変わりますけどそれだけじゃなくて、大きく変わっていかないから関係の工事の影響だったりとかそういったものも実は。
くれてるんじゃないか。
はい生態学の方、論文なんかもわからないまま言っていろいろ読んだりしたんですが、大体8割ぐらいは温暖化の普通魚も与える影響は8割温暖化の影響だろうと2割には野津陸からの影響ってのは2割ぐらい。
ないのかってなんですが、2割は実際どうなのかっていうのはなかなか難しい問題だと思いますけどね。
もし温暖化が起こってなかったらずっと問題は認識がずっとあったと思うんですけどちょっと忘れられてるんですけどもそういった津波の影響、作業がダイレクトに例えば多少、人工的ないろいろ改変がされた部分を自然に戻すっていうことでポジティブなプラスの影響は最初はあったあったけどもだんだんまた復興の工事が始まったりしたことで、そうですねまた干潟が結構なくなったりその時、地震以前よりも悪い。
そうでしたっけそういういろいろあったというような話ですけど僕、ただ最後にちょっとポジティブなお話をしたいと本当にいます最近になって南三陸でこういう自然をうまく生かしたあの街作りみたいな活動が活発に行われるようになって、ネイチャーベストソリューションっていうような言葉があるんですがそういう自然をうまく使った社会課題の解決みたいなのが保管環境保全親としてですね注目をされたように、注目を集めるようになってますね南三陸ではそういったような取り組みがこれはもう行政主導ではなくて民間から自然発生的にはとこ出てきてるっていうようなところがあって、役場もこれは同意するような形で、去年ネイチャーポジティブ宣言っていう明日簡単にちょっとあの事業を紹介しますと干潟を再生するっていうような取り組みがあの地元にネイチャーセンターという研究機関があるんですが研究機関と高校生なんかが一緒に網中調査みたいなことをずっと長年にわたってやっております。
その例を通していろんな提案をしたり、もうメール取り組みを行ったりとかですね道流星あの写真もある意見聞いたこと何もわからないと思いますが、これらとこれも工夫があるらしいんだけどちょっと僕もわかってないんでパイプを通して、何か添付が積みやすくするような工夫みたいなのを提案して何か実現したっていうはいというようなことをいっぱいで地道にずっとやったりしております。
2018年には融資条約に登録されたり、しますね漁業とか林業なんかに関しても、国際資源管理認証というのがありまして国連なんか環境保全を進めるための仕組みとしてこういうに商標認証制度っていうのが今導入されてるんですが、南三陸町は宮城県で初めてあの活用塾の資源管理認証を取得してます。
海の環境に配慮した養殖漁業これすごくお金もかかるし、能力も大変なんでが、ああいうとこふうなのに、SCっていうのは、綾野あかりちゃん養殖がスタートして、なんだろうという。
ねなんかどう具体的に何かどういう。
あのね配慮がされる。
明確な経済的メリットはないんですよ。
ただこういう環境に配慮した取り組みをしているっていう印象がやっぱりいろいろなイメージっていうか。
なんですよねな。
だから消費者がそういうのに魅力を感じて、購入することになるかも。
仕入れちょっとこれ自体が付加価値になってちょっと高い値段のものでも買ってもらえそうだよね陽子さんにとってはそんなこれをだからいけない次にメリット増えたっていうわけじゃないんだでもなんかこういう取り組みをしだしたら後継者が増えたっていう、やっぱりや誇りが持てるようになるっていうことで割とだからこういうのが活発に今行われるように林業なんかもですね津波でだから残ったのが山だけだったんですよね山は、でもやっぱり園山のあのキーっていうのがですねやっぱりいろんな意味での地域社会にとってはCMであってそういうのが改めて再認識されて、ここでもFSCていう何か法令フリーな何とかってやつ。
ふうなのをこれも宮城県さん南三陸、もう環境に議員配慮して配っているブランドこれかつ普通山尾山の定理をだから、あの中に熱心にやってるグループ防災みたいなときにもどういうふうにてるんだっていう言われたり、あるいはあの環境学習の教科書なんかでも、なんか環境学習の教材なんかにも乗ったりするようになってきてるんです。
なんかマイクを持って話してる方がブリーダーっていう名前とあたり彼が言ってましたが、南三陸は震災の後に、大きな大規模な復興事業やっててだってあるいはそういう自然を失ったようなところが寧々だからこそ、今2月末今ということで、最後になりますがこれも私の個人的な希望希望的観測というか、ちょっとまとめたものなんですがやっぱりそういうハザードをですね地震とか津波自然事象に特化したような自然ハザードを技術的に抑止したり、することに偏った既存の従来のこの防災には、何かやっぱ明らかな限界があったんじゃないかと。
確かに津波リスクはあの軽減されたけれども、高台移転をしたことによってやっぱり生活環境に大きな変化が。
やっぱりネガティブな変化が大きかったという。
まず大きな構造物を建設したことで税体系がいうような形でカプラーんしたと結果的に津波からはにはなったんですが、地域の今、高台移転した地域の防災っていうのは停滞した状況になってるし、世帯の分離とか、高齢化が進んだことふう、大学生みたいなのもむしろ増幅されたりしているという。
だからそういう意味で既存の従来のこういうの復興防災事業の仕組みっていうのは、やっぱ根本的に見直されるべきところがあるんぢゃない。
そのしかしその一方で、この生態系が撹乱されたことで、むしろその自然の価値に気づかされるみたいな動きがあって今そういう南三陸ではネイチャーベースのソリューションみたいな、その自然をうまく活用した社会課題の解決みたいなことが、何か手探りでいずれも活発にうん行われるようになってきてます。
これなのは、やっぱりこういう動きっていうのは私達もやっぱりちゃんと見ていく必要があると思うんですがなんかそれはこれからの新しい防災みたいなものを考えるヒントにもなってくるんじゃないのかなと。
そういう突発的に発生するハザードへの対策というよりはなんかもっと自然と社会の日常的な繋がりをどう取り戻すかみたいななんかそういうスタンスに立った防災みたいなものを今後は特に増え気候変動なんかのことも視野に入れて考えていく必要があるだろうしそしてそれを促すようないろいろなあの仕組みですねさっきも試験認証みたいな資源関連書みたいなものなんかもいろいろ出てきてるしそれが使う地域社会の中で暴れるような動きも出てきたり、いろんな企業なんかもそういう環境保全にいろいろ関わるようになったりね、従来にない多様な主体の間に見られるようにというわけで、こういうなのを今後のところから考える上で、まず、なんか雰囲気になるんじゃないのかなと思ってそして各地と在来地の外来という人件費っていうのがありましたが、そういう理学系の知識といわゆる文系の知識やっぱりいろんな関連づけみたいなあるいは、そういうふうな人たちが持っている経験値みたいなこういう専門知みたいなものの関係みたいなものをもっと積極的に捉えていくというか、そういう作業なんかも今後課題になってくるのかな長々とはいどうもありがとうございました。
1回ちょっとワークショップ、はいですねちょっとこの後皆さんからいろいろ質問いただいてお答えしていきたいと思います。
ですけれども最初にご紹介いただいたときに、宮城県で3ヶ所を対象にされて調査したっていうことで今日ご紹介いただいても大体南さんなんですけど小田川とか山本とかだとまただいぶ様相が違ってるんですよ。
裏側と南さんは基本的に一緒です。
ただ女川原発があるので、そこのところはではありません。
ないけど、これって飲みなさいましての中身含まれてるので地形違うんで。
この時代、地理的条件を長門は井上さんには多少共通で、今から私がどんどん復興のあり方は、若干選ぶのも新しく状況やまち作りみたいなところは、ねなんか見てます。
基本的には早くてますかね。
いや、もう同じような問題が生じている。
ちょ、ちょっと話せば長く動きはどうですか。
わかりました。
はいいろいろと南三陸があの津波で被災した後、どういうふうに現在に至ってるのかっていうところを、いろいろ多面的にお話をご紹介いただきました。
ありがとうございました。
ここでちょっと5分ほど休憩してその後、今のご質問にお答えしていただきたいと思いますので、
iPhone
失敗し、そう。
井上さんから質問いただいてますそうですね。
どちらからでもなんか大規模移転地のっていうへえその場一部移転地における自主、自主防災の活動の停滞のついて今日はありがとうございます。
金町から来ました井上です。
2人希望の2020時だったかな。
避難したところで大規模のところにみんな復興住宅なんかを作ったときただそういったところで中小防災会とかそういった活動は何か。
うまくいってないっていうか、というような話を聞いてありましたけども、本来であれば熊本地震についてもそうだし、あるいは3.11でも、その後もいろいろ地震が津波もう3億円残ってるんで、今年度あればもっとそういった形になるべきではないのかなと思ってるんですが、それがちょっとまず機能しないということは、例えばけども復興住宅、もう南三陸はちょっと必要なのか私も行ったことないからわからないんですが言ってると、4階建てとか5階建てのアパートみたいな格好で、そこのところも結構あるのかなと。
そうすると、多分国会だとエレベーターないでしょうし、何か紙入ってしまうと職員との億劫になる。
ということで怒りつつあまり知らないということが人付き合いも合わせしないというようなことで、できればそういった普通の住宅っていうのは、土地が許すんであれば、平屋です。
国指定工場移籍しやすい方に否定的電話しやすいようにする。
あるいは集荷場を作ってはいるんでしょうけども。
設置されて人が集まって、そういった雑談でもいいですから、雑談から始まって、そういった自主防災会的な活動力を見てくるような感じ、なんていう場合な考え方がどうなのかなと思って、その辺ちょっとお伺いできるようにした。
はい住宅は実際どんな形で作られてるですね南三陸町に関して言うと、いわゆる共同住宅っていうか、集合住宅みたいなものはもうほとんどないんです。
ほぼ、戸建てで災害公営住宅も、いわゆる平屋の戸建てタイプで、だからだから、そういう住宅条件という点では南三陸は非常に恵まれたところをトヨタっていうふうに先生ができます。
それに対してどういったらいいでしょうかねやっぱり今おっしゃる通り集合住宅の災害公営住宅がたくさん作られた自治体もあって、一番多かったのが裏側です。
女川はもうおそらく、住宅の6割から7割ぐらいが住宅それも戸建てもあるけれどもいわゆる大規模な集合住宅みたいなものを、が主流だ。
100年ます。
そういう集合住宅タイプの災害公営住宅で悲惨です。
そういう取り組みっていうんですかね住民同士の交流みたいなものがおそらく必要ではあるんだろうけれども実態としては、全くないっていうのは、多くの場合だと思います。
南三陸空の復興住宅での人付き合いっていうのはまだ他の地域よりはある方です日南三陸町は非常にそういう地域の人間関係というか、繋がりが強い地域なんでこれはもうアンケート調査なんかでも、もっと明らかに井上さんと一番これがいいですが、なんかね、どうなんだろう元々はだから、3世代同居とかが多くて若い人ってそういう意味ない人に住んでたりしてたわけなんですが、今それがもうぱっとわかりきってるようなところがありますやっぱりこういう住宅に入ってる人っていうのはほとんどが高齢の高齢者の住宅ローンが組めない人たちなんで、すごくないんでしょうかねギリギリ自宅を再建したとかもしくは別の場所に建て直したっていう方々もいるわけですね一定数もちろんもちろんそういうふうにいるけどそれがやっぱりできない人が災害公営住宅に入ってて、いわゆる戸建ての防災集団移転地なんかだと一応形だけでも自治会みたいなものは設置されるんですが、災害公営住宅の場合はそれを作ろうとしてもやっぱり非常に意欲的な人がやっぱり打ってこないっていうか、そういう戸建ての防災受自力再建自力再建をした防災集団移転地と分離してるんで、そういう公営住宅を持ってやるのかっていうのは、だから、非常に困った状態それはあれですか、住んでる方の年齢あたりが一番、もう10年経った10年15年経ってるからもう亡くなって、相手別の人が入ってくる指定くんなるほどメールとか、家族構成がそもそも単身者だったり、これのご夫婦だけとか、若い方がそんなにそうですね間取り的にそんなに多くは聞こえないんで、なかなかそういう中で、自主防災辺りにエネルギー咲くような感じでもない。
そうですねでもそんな余裕はない。
ですねそういう公営住宅もできるだけ早く年寄りを、高齢の人をできるだけ早く入れようというようなことで急いで入居しさせたっていうのもあるんだろうけどでも結局高齢者と他県の住宅地みたいな感じになっちゃってるので、入居した後の常に生活っていうのは、非常に問題が多い。
どっちか言うとそういう地域行事なんかをするときのそういう財政的なサポートみたいなのは多少出たりはしてますがどう。
ほとんどなんていうんすかね、そういう状態じゃなくてもうだから民生委員なんかが見守り、なんか見回るっていうか、どこも人に頼ったかもしれんけど山元町なんかは都市化が進んでるからなおさらちょっと孤立するようなところがあって、人が亡くなっても葬式が上げられないっていうか。
もうそういうやっぱり公営住宅山元町の場合は戸建てがほとんどなんですが、公営住宅でそういうコミュニティを作るみたいなどんどんもう諦めたここの世帯で公民全員と良い関係を作って、なんかそういうようなやり方に変えたんだっていうようなことを部長さん。
言われておりましたけれども、イヤホンオンラインで竹内さんが住むところを作っても生活をするところを作っていないということですねっていう。
なるほど下記は静まって、あの地域ではそれなりのあの規模の町だったわけですよねだけど人が住むところは作っても、その町としての機能というのがどっかに消えてしまったようななんかちょっと語りであれしたけどなんか、昔はだからごちゃごちゃ言うようなものがまだまだやってたっていうかあんまり基本的にはあんまり良くなかったのかもしれませんが、何かそういうある種の無駄みたいなものを綺麗さっぱり削ぎ取られたようなていうか大きな道路があって売ってパッケージがされて、見た目は綺麗になってるんですがすごく安心行けないというか。
そういうなのはやっぱりではですね。
へえ。
井上さんからもう一ついただいていて、銀行ゆ私直接発言したりとかするお願いします。
すいません。
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サラリーマンの場合ですと、広域避難なり何なりでとか市町村に出てしまうということになってくると、やはり通勤に便利だ。
あるいは正確に管理だというようなことを優先させてしまえば、相手も説いた。
ところ見戻る必要はないというような考えがやっぱり私も大きくなるんだねかなと。
そうするとやっぱり仕事場というか、仕事をあって収入を得られるような場所がないとなかなか戻ると、どういうふうにならないのかなとそうすると本なんかも、公益避難訓練今やってますけども、一体動いてしまうとなかなかもう無敵しないなということになりかねないなと思ってちょっと考えてたんですけども、その辺の取り組みなんかいろいろやってはいると思うんですけどちょっと先生が見た夢としてはどんな感じかなと思って続いて、なんでこんなどっちもですねそう。
続きサラリーマンの方々ですねちょっと地域地域によってまた違うんですがいわゆる兼業っていうのが大きいですね。
批判は漁業やってるけども、息子は役場に勤めてとかですね、3パートに出てとかそういういろいろな仕事を組み合わせて接待、ちょっと維持するみたいなそういうスタイルの生活が南三陸の中ですごく多かったですね。
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もちろんすごい大事なことなんですけどだからそれが、その地域の人が暮らしていけるだけの、なんていうか規模にんなるのかっていうあたりがやっぱり現実的にていうのはあるんです。
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ただ、そういった問題って実はこのね、三陸だけの問題じゃ全然なくって日本の田舎というか特に海岸に面したところ、能登半島なんかもそうでしたけど、もう本当に将来的な持続とか発展が本当に危機にひんしているようなコミュニティっていっぱいあるじゃないすか。
なんかそれをそもそもどうやっていくんだっていう、あの防災とか災害以前の問題としてはいはい、多分そこの答えがまだ我々ね日本全体として見出せてないんだよ。
っていう気がするんですけど。
ちょっと一言付け加えると、こういう南三陸はちょっとあれなんだけれど山本なんかも人が減って大変なそういう計の数字で見ると、非常に危機的なという感じがするけれどもおそらく大東Cの何て言うんすかね住宅とか例えば阪神大震災の被災地の中で永田のああいうふうなところに比べるとこっちの方がよっぽど強いという場合、やっぱり土地を持ってるし生業があるし、やっぱり安念杏なんかそんなに暗くないんですよ。
どちらにやっぱりな、なんとかいう自分たちでやっていけるっていうかうちに足がついてるってなんかそういう近代的な仕組みを前提に見てしまうともう存続の危機みたいな感じになるのかも知れないけれども、食っていくぐらいの制作できるんですね。
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だから結局裏返しでバイトしよう他剤としてまた別の問題もあったんですよね。
なカナカナか、今日の話こういう災害からの復興、特に地方における復興っていうのがどんなものかどんな問題があるのかっていうことを結構し、かなり核心をついてるんじゃないかなという気もしますけどもですね。
で、南山さん。
見れないなんやすいません。
関連しての質問になると思うんですが将来のことでないすいません。
この私日本大震災が起きる、その概要.スタッフの方は、なるほど。
もう、ちょっとその辺がタンポポみたいな感じで言って欲しかった。
いっぱいちょっと記憶が曖昧だったんですけど、その復興庁っていうのができてもうすぐなくなる。
パン2031年3月31で補助なくなるっていうふうに書いてあって。
ちょっと話が大きくなってないですもんね。
直井運転の自然て三陸町と変わってる中で、この復興庁っていうのはできてよかったなそうですね。
ちょっとそうですね。
ある日、答えにくい。
長年そういう災害復興の調査をやってきましたが復興庁のことを考えたことがおそらく1回という感覚っていうか、少なくともその人からという話が出てくるっていうところは、やっぱすごく区民あるっていうか、どういう存在っていうこと。
その現地の方が、復興庁ができてても届いていなかったっていうなっていうような私自身はそういうふうに感じて、だから、復興庁とかできたことで、東日本大震災からの復興に対しての国としてだいぶお金は突っ込んでますよね我々の税金額を一律ちょっと伝えたりして、なんかそこの仕組みを国としては用意をしたんだけど、その先に、各地域でどういうふうに復興対策していくのかっていうのは、多分、自治体、あの県のレベルだったりもしくは市町村のレベルだったりさらには集落のレベルでいろいろ検討さえ取り組んだので、場所によっていろいろ違いもやっぱりあったりして前そういう全体としてどうだったのってなると、なかなかね非常に非常に突っ込み、見づらい見えづらいですよね。
多分今度はこの防災庁って11月にでき自殺がどういうふうな形になっていくのかっては、我々もまだ全然わかってないんですけど。
ただ、復興庁よりはもうちょっとちゃんとした組織として機能はしてくるんだろうなとは思いますけど、何かその辺り、ややいただいたんですけど、期待はいえ、なんかやっぱ末端に下りてこないっていうか、なんかそういう地域の末端2同位体です神から、実は見えない存在になったっていう意味だと思うんですよねだからサイズもなるのか症状としてはよりなんていうか大きなものになるのかもしれませんが、同じように遠い存在なのか、それとももう一つですね。
他にも見えるような関わり方をするようになるのかそこら辺はちょっと注意して見ていきたいというふうにあと4年面はある。
ちょっと防災庁ができる話をしてるけど、校長がこの木起源と何か機能としてちょっと重複しちゃうような気もするのでそこは整理されるんじゃないかなと思いますけどねちょっとあの、全然何も情報なくて申し上げてるので、ありがとうございました。
へえ。
最後にちょっとまとめでなんでしょう。
一応今回、南三陸でどんなふうに復興がのプロセスがあったのかっていうことをご紹介いただいたんですけどもなんか、こんなな復興のあり方も、この地域だったらあったんじゃないかとか何かそういう我々は見なかった現実ですけども見なかったこんな苦労ができたらもっと良かったかもっていうふうなところは何か。
お考えありますか。
ね。
ね割と最近鷺谷先生に聞き取り調査ちょっと今学部生の調査実習の授業担当しててそれアクセスでて、他社の先生に出し先の先生に行って僕が一番楽しんでたんですけれども、鷺谷先生が大変なんですね2010年はチリのうんはい地震もう一度関係の地域英語も何もない。
ところのようですにも関わらず、あんまり人が死んでないっていう。
いいえ。
なんかそれを聞くと、あんなにいっぱいお金をつぎ込んで、大きな構造物を建てて、全国的に何やったんだろうっていうか、そんなのはすごくにやっぱりあります。
これから人も減っていくし財政も厳しくなっていくし、そういう中で、やっぱり従来、のような交際のやり方のやり方を続けていくってことはもう現実的に無理になっていくと思うし、その中で、やっぱりその土地利用どうしていくのかっていうようなことを災害が起こった後だけじゃなくてやっぱり平時からちょっと、ちょっと中長期的な視点で住民ももちろん参加する形で検討していくような仕組みっていうのがやっぱり何か必要なんだろうなっていうふうにいわゆるまとめとしてはないんでしかないんですが、結局、はいどうもありがとうございました。
今日の本日の減災カフェは室井健司先生から、特にあの東日本大震災の後の復興過程がどんなもんだったか、そこにどんな問題があったのかって。
さらにどういった将来に向けて関わっていくのかっていうことについてお話をいただきました。
つい先週も熊本で地震起きた。
ばっかりですし、災害また繰り返しいろんなところで起きてまいります必ずその後に復興過程っていうのは、復興プロセスっていうのが入ってきますので、これまだ、まだまだ我々がいろいろ考えていかなきゃいけない問題だと思います。
なかなか単純に解決はしないんですけども、我々1人1人に関わるかもしれませんので、やはりより良いのあり方これからも引き続き考えていきたいと思いますということで室井先生今日はどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
そうしましたら次のご案内をいたします。
次回の減災カフェですけれども9月の7日月曜日になります。
ポストともに生きる社会のあり方を探る中部釣り学者の草野海也先生名古屋大学の宇宙地球科学研究所の名誉教授なんですけども、文明進化型災害としての充填機の社会影響と減災の取り組みという、ということでお話をいただきます。
また次回もぜひお声を参加いただければと思います。
それから防災アカデミーの方は10月の7日ちょっとあきますけれども東京都立大学の壁谷紗和先生にお話をいただきますということです。
また引き続きどうぞよろしくお願いいたします本日はどうもありがとうございました。
