愛知県弥富市をはじめとする「海抜ゼロメートル地帯」において、私たちの暮らしと命を守る最大の砦(とりで)が木曽川の堤防です。しかし今、この巨大な防壁の足元に、ある重大なリスクが潜んでいることをご存知でしょうか。
巨大地震が発生した際、足元の柔らかい地盤が液状化を起こすことで、高さ9メートルの堤防が大きく沈み込み、巨大な亀裂が入って真っ二つに引き裂かれてしまう危険性が専門家から強く指摘されています。その原因は、現在の堤防が抱える「川側にしか壁(矢板)がない」という構造的な弱点にありました。
本資料では、地震の揺れそのものよりも恐ろしい「地震後の水害」を防ぐため、堤防の内部で一体何が起こるのか、そして私たちの町を守るためにどのような最新対策が進められているのかを、専門用語を使わずに分かりやすく紐解きます。正しい知識は、いざという時の冷静な判断と、地域防災を前に進める大きな力となります。まずは、堤防に隠された「3つの真実」から見ていきましょう。
🚨 【市民向けサマリー】巨大地震で弥富の「木曽川堤防」はどうなる?〜知っておきたいリスクと対策〜
弥富町北部をはじめとする濃尾平野の海抜ゼロメートル地帯では、木曽川の堤防が私たちの命綱です。しかし、現在の堤防には構造上の「ある弱点」が潜んでおり、巨大地震が起きた際に致命的なダメージを受ける危険性が指摘されています。
まずは、どのような現象が起きるのか、3つの身近な例えで全体像を把握しましょう。
| 堤防に起こる現象 | 専門的な原因(メカニズム) | 身近な例え |
| 地盤が崩れて沈む | 液状化と約9mの高盛土の過大荷重 | 水を含んだスポンジに乗せた鉄のブロック |
| 民家側に土砂が押し寄せる | 川側にしか壁(矢板)がない非対称構造 | 片側だけフタが開いた歯磨き粉のチューブ |
| 堤防が真っ二つに割れる | 川側は留まり、民家側が滑ることで生じる引張応力 | 左右から強い力で引っ張られて裂ける布 |
1. 堤防の下で何が起きる?(液状化と重さの限界)
木曽川の堤防は高さ約9メートルもあり、その重さは非常に巨大です。一方で、堤防を支える地面(基礎地盤)は砂や泥が混ざった非常に柔らかい地層です。
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普段の状態: 砂の粒がガッチリ噛み合って、重い堤防をしっかり支えています。
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地震発生時: 激しい揺れで砂と水が分離し、地面が泥水のようにドロドロになる「液状化」が起きます。
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どうなるか: ドロドロになった地面は、上に乗っている9メートルの堤防の重さに耐えきれず、横方向へと押し出されてしまいます(これを側方流動と呼びます)。
2. 最大の弱点は「片側(川側)にしかない壁」
今の堤防の最大の弱点は、液状化した土砂を食い止めるための鉄の壁(鋼矢板)が「川側」にしか打ち込まれていないことです。
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チューブを踏みつける現象: 堤防の下の泥が重さで逃げようとしたとき、川側には頑丈な壁があるので逃げられません。しかし、皆さんが住んでいる民家側には壁が一切ありません。
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被害の集中: 片方しか出口がないチューブを上から強く踏みつけると、開いている方に中身が勢いよく飛び出します。これと同じで、泥がすべて民家側に向かって一気に逃げ出し、民家側の堤防だけが極端に沈み込んでしまいます。
3. 堤防が「真っ二つ」に割れる理由
地震の映像などで、堤防の頂上に巨大な亀裂(ひび割れ)が入っているのを見たことがあるかもしれません。これは単に揺れたから割れるのではありません。
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引き裂かれる堤防: 地震が起きると、壁がある「川側」はその場に留まろうとします。しかし、壁のない「民家側」は、流れ出す泥と一緒に横へ滑っていきます。
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布が裂けるように: 堤防の底は「右には残ろうとし、左には動こうとする」ため、ものすごい力で左右に引っ張られます。土は引っ張られる力に非常に弱いため、底の方でビリッと裂けた傷が上へ上へと広がり、最後には堤防を真っ二つに引きちぎってしまうのです。
4. 本当に怖いのは「地震のあと」の複合災害
堤防が沈み、亀裂が入ることで、最も恐ろしい事態が引き起こされます。それは、地震そのものの被害ではなく、その後にやってくる水害です。
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越水(水が溢れる): 堤防が沈んで低くなるため、地震後の津波や高潮、長時間の雨による川の増水時に、水が簡単に堤防を乗り越えてしまいます。
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内部からの崩壊: パックリ開いた亀裂から川の水が堤防の内部に大量に流れ込み、堤防を内側から空洞化させて一気に決壊させます。海抜ゼロメートル地帯において、これは地域全体を飲み込む壊滅的な被害に直結します。
5. 町を守るための「最新の対策工事」
このような破滅的な被害を防ぐため、現在、国や専門家によって根本的な対策工事が計画・実施されています。
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民家側にも壁を作る: 川側にしかない壁を、民家側(川裏)にも追加で打ち込みます。これにより両側に壁ができ、土砂の流出を完全にブロックします。
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地下水への配慮: 単に鉄の板で囲うと井戸水などに悪影響が出るため、地下水だけは通す「穴あき鋼矢板」という特殊な壁を使用する工夫がされています。
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地面そのものを固める: 細かい作業ができる最新の機械(SAVE-SP工法など)を使って、柔らかい地面の中に砂の杭を打ち込み、液状化そのものが起きないように地盤をカチカチに締め固めます。
まとめ
今の堤防は「川側にしか壁がない」という構造上、地震が来れば民家側に土砂が流れ出し、大きくひび割れて沈む宿命にあります。これを防ぐためには、民家側への追加の補強工事や地盤改良が絶対に欠かせません。地域の皆様がこのメカニズムを理解し、今後の防災対策や補強工事の重要性に目を向けていくことが、弥富の町を水害から守る大きな力となります。
弥富町北部における木曽川堤防の非対称構造に起因する沈下・亀裂メカニズムと市民向けリスクコミュニケーションに関する専門的考察
序論:海抜ゼロメートル地帯における高盛土堤防の潜在的脆弱性
愛知県西部から三重県にかけて広がる濃尾平野の木曽三川河口部は、日本国内でも有数の極めて軟弱な地盤環境を有しており、巨大地震やそれに伴う津波、さらには洪水に対する脆弱性が長期にわたり指摘されてきた。
中でも弥富市(旧弥富町を含む)北部の木曽川沿川は、広大な海抜ゼロメートル地帯を形成しており、地域の安全は河川堤防の完全性に強く依存している。当該地域における防護の要となる木曽川堤防は、高さ約9メートルに達する大規模な高盛土として構築されているが、その基礎地盤は液状化のリスクが極めて高い砂およびシルト層によって構成されている。
さらに本地域における構造上の最大の技術的懸案は、地震時の液状化および側方流動を抑止するためのシートパイル(鋼矢板)が、堤外側(川側)にのみ打設されており、堤内側(民地側・川裏側)には存在しないという「非対称な境界条件」を有している点である。
この片側のみの拘束状態は、巨大地震発生時において地盤内部に極めて複雑かつ破壊的な力学的偏りをもたらし、堤防の劇的な不同沈下や大規模な縦亀裂を誘発する決定的な要因となる。
河川堤防は本来、洪水から背後の住民や資産を守るための要塞であるが、基礎地盤に液状化層が分布する場合、地震時に過大な沈下や亀裂を来すことで本来の性能を確保できなくなることが強く懸念されている。
本稿では、地盤工学および土質力学の専門的見地に基づき、基礎地盤の特性、液状化の基本原理、片側矢板構造が引き起こす特異な側方流動と引張応力のメカニズムを網羅的に解析する。
さらに、これらの高度な学術的知見を、専門知識を持たない一般市民に対しても直感的かつ論理的に説明するためのコミュニケーションモデルを提示し、今後の地域防災対策の立案に資する総合的な知見を提供する。
第1章:対象地域の水理地質学的特性と高盛土による力学的負荷
1.1 沖積層と弥富累層が形成する極軟弱地盤の構造
弥富市一帯の地盤は、木曽川などの河川が長年にわたって上流から運搬した細粒物質(砂、シルト、粘土)が厚く堆積した沖積平野である。
この沖積層の下部には更新世の地層である熱田層が分布し、さらに深部には東海層群を不整合に覆う「弥富累層」が存在している。
弥富累層は層厚が約160メートルに及び、礫と砂の互層を主体としながら海成および淡水成の泥層も挟み込む複雑な地質構造を有している。
このような未固結な砂層とシルト層が入り交じる地層は、地震動に対して極めて揺れが増幅しやすいという特性を持ち、愛知県全域のハザード評価においても液状化の危険性が「大〜中」と極めて高く評価される地域に含まれている。
また、この地域は戦後の高度経済成長期にかけて、工業用水や農業用水として大量の地下水が揚水された歴史的背景を持つ。
これにより、粘土層中の間隙水が抜け出して体積が収縮する「圧密沈下」が進行した。
国土地理院の調査によれば、1963年から2024年までの61年間で、弥富市に設置された水準点における累積最大沈下量は150cmに達している。
現在では地下水揚水規制などの対策により広域的な地盤沈下は概ね沈静化の傾向にあるものの、依然として第一礫層上位の南陽層などで年間1.0mmから1.3mm程度の微小な地盤収縮が継続している箇所も観測されており、地盤の潜在的な不安定さは完全に解消されていない。
1.2 約9メートルの高盛土がもたらす「閉封飽和域」の形成
当該地域の堤防は、高さ約9メートルに及ぶ盛土で構築されている。
土の単位体積重量を一般的な値と仮定した場合、9メートルの盛土は直下の基礎地盤に対して1平方メートルあたり約160〜180キロニュートン(約16〜18トン)という極めて大きな鉛直荷重(静的荷重)を常時与え続けている。
軟弱地盤上にこのような巨大な質量が載荷されると、盛土の自重によって長期間にわたり基礎地盤が圧密沈下を起こす。
基礎地盤がすり鉢状に沈下すると、それに追従して盛土自体も変形を強いられる。
最新の地盤工学的研究によれば、この圧密沈下の過程で基礎地盤の上面が凹状となり、堤体が側方へ伸張変形することで堤体下部の密度低下や拘束圧の低下(ゆるみ)が生じるとされる。
さらに、沈下に伴って堤体下部が地下水位以深に水没することで、盛土下部に「閉封飽和域」と呼ばれるゆるい飽和領域が形成される。すなわち、9メートルの高盛土はそれ自体が強固な防壁に見える反面、基礎地盤に過酷な負担を強いており、地震動が作用した際には自らの重さが破壊の推進力へと転化する宿命を背負っているのである。
| 地盤・構造特性 | 力学的影響と潜在的リスク |
|---|---|
| 弥富累層と厚い沖積層 |
砂・シルト・粘土の互層による軟弱地盤。地震時の揺れ増幅と極めて高い液状化危険度をもたらす。 |
| 長期的な圧密沈下の歴史 |
61年間で最大150cmの累積沈下による広大な海抜ゼロメートル地帯の形成。 |
| 約9mの高盛土による過大荷重 |
基礎地盤に約16〜18t/m²の常時鉛直荷重が作用。重力が側方流動の駆動力に転換される。 |
| 閉封飽和域の形成 |
圧密沈下に伴う盛土下部のゆるみと地下水位下への水没。地震時に盛土自体が液状化する温床となる。 |
第2章:地震動による有効応力の消失と側方流動の物理的メカニズム
堤防が致命的な崩壊に至る第一段階は、地震による基礎地盤の「液状化」と、それに伴う「側方流動」の発生である。
このメカニズムを正確に把握することは、片側矢板の脆弱性を理解する上での前提となる。
2.1 負のダイレタンシーと過剰間隙水圧の上昇
砂やシルトを主体とする地盤は、土の粒子同士が接触して骨組みを作り、その隙間(間隙)を地下水が満たしている。
土粒子同士が押し合う力、すなわち「有効応力」によって地盤はせん断強度を保っている。
しかし、地震の強い繰り返し剪断力が加わると、緩く噛み合っていた土粒子がより密に詰まろうとする体積収縮の性質(負のダイレタンシー)を示す。
このとき、隙間を満たしていた間隙水は短時間で排水されないため逃げ場を失い、水の圧力(過剰間隙水圧)が急激に上昇する。
間隙水圧が土の自重(全応力)と等しくなると、反作用として土粒子間に作用する有効応力がゼロとなり、土粒子が間隙水の中に浮いた状態となる。
これによって地盤は固体としてのせん断強度を完全に喪失し、液体のように挙動する。これが液状化の物理的メカニズムである。
2.2 重力を駆動力とする流動化土砂の移動(側方流動)
平坦な土地における液状化であれば、水と砂が地表に噴き出す(ボイリング)程度で終息する場合もある。
しかし、上に約9メートルもの重い堤防(盛土)が載っている場合は状況が根本的に異なる。
液状化によって基礎地盤が液体状になると、その上に乗っている重大な鉛直荷重を支持しきれなくなる。
このとき、重力の作用により生じたせん断応力が原動力となり、液体状になった基礎地盤の砂やシルトを横方向(側方)へと激しく押し出そうとする。
この重力によるメカニズムによって引き起こされる地盤の水平方向への大規模な移動を「側方流動」と呼ぶ。
土台となる地盤が側方へと逃げていくことで、上部構造物である堤防は支持力を完全に失い、自らの重みによって急激かつ大幅に沈み込むことになる。
東日本大震災をはじめとする過去の巨大地震においても、軟弱地盤上の盛土や護岸において側方流動が引き起こした甚大な沈下・崩壊被害が多数報告されている。
第3章:片側(川側)矢板構造がもたらす力学的な非対称性と沈下の集中
本地域における最大の技術的課題は、「側方流動をとめるシートパイル(鋼矢板)が両側でなく川側(堤外側)しかない」という構造的非対称性にある。
この条件が地震時にいかなる破滅的な挙動を引き起こすのかを、理想的な対策工法との比較を通じて明らかにする。
3.1 二重鋼矢板工法による「拘束地盤免震」との対比
本来、河川堤防における液状化対策および側方流動対策として極めて有効とされるのが「二重矢板工法(二重鋼矢板補強工法)」である。
この工法は、堤防の両側(川側と民地側)の基礎地盤に鋼矢板を深く打設し、矢板の頭部をタイロッド等の部材で連結する構造である。
二重矢板工法の最大の機能は、液状化(流動化)した砂が側方へ移動することを両側から物理的に制御・拘束することである。
両側を強固な壁で囲い込むことで、内部の地盤が液状化現象を起こしたとしても、土砂が外へ流出(側方流動)することができない。その結果、仕切られた内側の液状化層における変位が抑えられ、堤防天端の沈下量が劇的に低減される。この効果は「拘束地盤免震」とも呼ばれ、液状化そのものを抑制しなくとも、沈下を最小限に留めて津波や洪水に対する堤防の高さを確保することが可能となる。
また、鋼材による剪断抵抗力の増加により、円弧すべり破壊に対する安全率も向上する。
3.2 一重矢板(片側のみ)による流動の集中と不同沈下の発生
一方で、弥富町北部の事例のように川側にしかシートパイルが存在しない場合、力学的な境界条件は極めて非対称となる。
地震が発生し、9メートルの高盛土直下の砂・シルト層が液状化した場合、盛土の巨大な重みで液状化した土砂は横方向に逃げようとする。
川側へは強固なシートパイルが存在するため、土砂の移動は遮断される。
しかし、反対側である「民地側(川裏側)」には側方流動を拘束する構造物が一切存在しない。
流体力学の基本原理や土質力学における応力伝播の法則に則れば、圧力は必ず「最も抵抗の少ない方向」へと解放される。
川側への変位が拘束されている以上、9メートルの盛土の重力によって発生した過剰な圧力は、液状化した土砂をすべて無拘束な民地側へと猛烈な勢いで押し出すことになる。
本来であれば両側に分散して流出するはずのエネルギーが、片側に一極集中するため、民地側への側方流動の速度と規模は飛躍的に増大する。
この非対称な側方流動の結果、堤防の川側は矢板の支持によってある程度の高さを維持するのに対し、民地側は土台となる土砂が大量に流出するため、急激かつ極端に沈下する。
このように堤防の左右で沈下量に大きな差が生じる現象を「不同沈下」と呼ぶ。
沈下の被害を避けるためには、荷重分布を均等にして不同沈下を防ぐことや、基礎を一体型の剛なものにすることが地盤工学上の鉄則であるが、現状の片側矢板構造はこの原則と完全に相反する状態を作り出しているのである。
| 拘束構造の比較 | 川側(堤外側)の力学的挙動 | 民地側(堤内側)の力学的挙動 | 堤防全体への影響 |
|---|---|---|---|
| 二重鋼矢板工法 | 鋼矢板により側方変位を完全に抑制。 | 鋼矢板により側方変位を完全に抑制。 |
側方流動が拘束され、天端の沈下を最小限に制御。免震的効果を発揮。 |
| 片側のみ(現状) | 鋼矢板により変位が遮断され、相対的に位置を維持。 | 無拘束のため、流動化土砂が集中して大規模に流出。 | 極端な不同沈下が発生。盛土内部に致命的な剪断応力と引張応力が生じる。 |
第4章:縦亀裂(開口亀裂)発生の詳細な地盤力学的メカニズム
市民から最も強い懸念が示される「なぜ堤防が真っ二つに割れるような亀裂が入るのか」という疑問に対しては、単なる沈下ではなく、側方流動に伴う「引張応力」と「剪断破壊」の観点から説明する必要がある。
最新の数値解析技術を用いた研究論文等から、以下のメカニズムが明らかとなっている。
4.1 盛土底面に作用する強大な「引張応力」
土(盛土材料)という物質は、圧縮(押し潰される力)や剪断(ズレる力)に対してはある程度の強度を持つが、引張(引っ張られる力)には極めて弱いという力学的特性を有している。
一般に、土の引張強度はせん断強度に比べて著しく小さい。
地震時に民地側への側方流動が始まると、液状化して移動する基礎地盤の土砂は、その上に乗っている盛土の底面を摩擦によって一緒に民地側へ引きずろうとする。
しかし、盛土の川側はシートパイルやそれに伴う地盤の抵抗によって固定されている。
すなわち、堤防の川側は「その場に留まろうとする」一方で、民地側は「流動する地盤に乗って横へスライドしようとする」という矛盾した状態に陥る。
この結果、堤防の底部(盛土と基礎地盤の境界付近)には、堤防を左右に引き裂こうとする強大な「引張応力」が局所的に作用することになる。
4.2 微小亀裂の発生から大規模な開口亀裂への進展
盛土底部に引張応力が作用すると、土の低い引張強度を容易に超過し、盛土の底面に無数の微小な亀裂が発生する。
側方流動がさらに数センチ、数十センチと進行するにつれて、この微小亀裂は盛土の内部を上方(天端方向)に向かって進展していく。
最終的に、この裂け目は堤防の天端や法面に達し、川の流れと平行な方向の大規模な「開口亀裂(縦亀裂)」として地表に現れるのである。これは、基礎地盤や盛土内に液状化現象が発生し、側方流動によって亀裂が進展して盛土底部まで達することで発生する典型的な破壊形態である。
4.3 圧密沈下量の差がもたらす剪断亀裂
さらに、亀裂を助長するもう一つの要因が、前述した「不同沈下」である。
川側がシートパイルによって沈下を免れる一方で民地側が急激に沈下するため、盛土の内部には斜め方向の強烈な剪断力が発生する。国土交通省が定める河川堤防の点検指針等においても、亀裂は「既設堤防と腹付けされた盛土の間に相対的な基礎地盤の圧密沈下量の差が生じることに起因して発生することが多い」と明記されている。
川側が沈まず、民地側だけが沈むという変位の不均衡が、盛土を物理的に引きちぎり、致命的な段差と縦亀裂を生み出すのである。
第5章:沈下と亀裂が誘発する「地震後水害」の複合災害リスク
地震によって堤防に沈下や亀裂が発生した場合、地震動そのものによる直接的な被害に留まらず、その後に発生する洪水や津波に対する防護機能が完全に喪失される「複合災害」のリスクが飛躍的に高まる。
特に弥富市のような海抜ゼロメートル地帯において、このリスクは地域社会の存続を脅かす致命的な脅威となる。
東海地方が大きく被災するケースでは、愛知県だけでも周辺県の3〜6倍にあたる約23,000棟の全壊被害が算定されており、広大な面積での被害が懸念されている。
5.1 天端高の低下による津波・高潮の越水・溢水リスク
側方流動によって民地側に土砂が流出し堤防が沈下すると、本来設計されていた計画高水位や、津波・高潮の想定推移を堤防の高さ(天端高)が下回ってしまう。
伊勢湾台風(昭和34年)によって甚大な被害を受けた本地域において、堤防の高さが失われることは、地震後に襲来する津波や、長時間の降雨による河川の増水時に、水が堤防を直接乗り越える「越水・溢水」を極めて容易に引き起こすことを意味する。
一度越水が始まれば、強固な護岸を持たない堤防の川裏(民地側)の土が急激に洗掘され、壊滅的な破堤へと直結する。
5.2 亀裂を通じた浸透水圧の上昇とパイピング・ボイリング破壊
さらに重大な脅威となるのが、地表に開口した亀裂の存在である。地震後に降雨が続く、あるいは河川水位が上昇した場合、水は堤防の表面から徐々に浸透するだけでなく、開口した亀裂から直接盛土内部の深部や基礎地盤へと大量に侵入する。
これにより内部の動水勾配が急激に大きくなり、基礎地盤透水層(砂層等)における浸透水の圧力が異常に高まる。
高い河川水位が継続すると、透水層の流速によって細粒土砂が水とともに流出を続ける(ボイリングおよびパイピング現象)。
これにより、透水層の空隙や空洞が堤防下から川側へと進行していく。
軟弱地盤地帯では、不同沈下に伴って構造物自体の損傷や周囲の堤防・基礎地盤との接続部が空洞化しやすいという問題を抱えており、地震によって直接的な堤防損壊が生じるだけでなく、液状化が潜在化し、その後の洪水時に亀裂や空洞から漏水して一気に崩壊するという問題が発生しやすくなる。
第6章:学術的知見と最新の施工事例に基づく対策工法の方向性
このような片側矢板構造の力学的弱点を克服し、海抜ゼロメートル地帯の安全を確保するため、国や研究機関、土木業界では様々な対策工法を開発し、実際の現場に適用している。
本地域における今後の減災対策を考える上で、以下の技術的アプローチが重要となる。
6.1 民地側(川裏)への追加矢板打設による流動拘束
川側にしか矢板がないことによる非対称な側方流動を防ぐための最も直接的かつ論理的な対策は、民地側(川裏側)への流動を抑止する物理的構造を追加することである。
実際、国土交通省中部地方整備局による木曽川・揖斐川下流域の堤防補強工事の事例では、「降雨や洪水の時に、堤防が崩れにくくなるよう必要に応じて地中に矢板(鉄の板)を入れて補強します」とされており、川裏の作業ヤードを確保した上で、民地側への矢板の打ち込みによる補強が進められている。
これにより、実質的に「二重矢板」に近い拘束条件を作り出し、開いていた境界を閉じることで民地側への側方流動を遮断することが可能となる。
6.2 SAVE-SP工法による液状化発生源の根本的改良
構造物による物理的な拘束(構造的工法)と並行して、基礎地盤そのものを締め固めて液状化を発生させない「地盤改良工法」も極めて有効である。特に、堤防上や狭隘な施工環境において近年多用されているのが「SAVE-SP工法(砂圧入式静的締固め工法)」である。
この工法は、プラント内で砂に所定量の水、流動化剤、塑性化剤を加えて混練し、流動性を持たせた砂(流動化砂)をポンプで圧送して、小型施工機のロッドを通じて地盤中に静的に圧入するものである。
従来の大型重機が適用困難であった場所でも施工が可能であり、軟弱な砂質地盤中に強固な砂杭を造成して地盤密度を高めることができる。木曽川右岸(桑名市長島町周辺)などでの工事実績もあり、基礎地盤の液状化そのものを抑止することで、側方流動の原動力を根本から断ち切る効果が期待される。
6.3 透水性鋼矢板を用いた地下水流動環境への配慮
一方で、矢板を両側に連続して打設し、地盤を完全に締め切ることには環境保全上の課題も存在する。
従来の一重あるいは二重鋼矢板補強工法では、鋼矢板壁が地下水の自然な流動を完全に遮断してしまい、堤内地の地下水位の異常な変化や、海水利用の井戸への悪影響が出ることが懸念されてきた。
そのため、近年の中部地方における耐震補強の設計事例では、堤内地の地下水利用に配慮し、「穴あき鋼矢板(透水性鋼矢板)」を使用する工法が採用されている。
背後地の井戸等に対しては、矢板に開口を設けることや砂杭を用いることで透水性への影響軽減を図り、元の流量に対し90%以上の地下水の流動性を確保しつつ、側方流動に対する剛性と津波・波浪に対する防護性能を両立させる高度な設計が実用化されている。
弥富地域において追加の地盤補強を検討する際にも、こうした地下水環境への配慮を組み込んだ最新の工法の適用が不可欠である。
第7章:市民への効果的なリスクコミュニケーションのための説明モデル
本報告書の最終目的は、これまでに詳述した高度に専門的な地盤力学のメカニズムを、専門知識を持たない一般市民に対して「わかりやすく、かつ正確に」説明するための理論的フレームワークを提供することである。
市民の危機意識を喚起し、行政が実施する対策工事への理解と協力を得るためには、難解な専門用語(負のダイレタンシー、有効応力、引張応力等)を日常的な物理現象に置き換える「メタファー(比喩)」を用いた説明モデルが極めて有効である。
説明モデル1:液状化と盛土の重さの表現(スポンジと鉄のブロック)
市民に対して、9メートルの堤防がどれほど重いか、そして液状化が起きるとどうなるかを説明する際には、「水を含ませた柔らかいスポンジの上に、重い鉄のブロックを置いた状態」という比喩を用いる。
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解説の展開: 「普段は砂がしっかり噛み合ってスポンジのように鉄(堤防)を支えていますが、地震で揺れると砂と水が分離し、スポンジが泥水のようにドロドロになります。すると、9メートルもの土の重さ(鉄のブロックの重み)に耐えきれなくなり、堤防の重さで下の泥水が横へ横へと押し出されてしまいます。これが『側方流動』です。」
説明モデル2:片側矢板による非対称な破壊の表現(片側が詰まったチューブ)
なぜ「川側にしか矢板がないこと」が危険なのかを説明する際には、「絞り口が片方しか開いていない歯磨き粉のチューブ」や「片側だけ壁に密着させたゼリー」などの比喩を用いる。
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解説の展開: 「堤防の下の泥が重さで逃げようとしたとき、川側には矢板という頑丈な壁があるので逃げられません。しかし、皆さんが住んでいる民地側には壁が一切ありません。片方しか出口がないチューブを上から強く踏みつけると、開いている方に中身が勢いよく飛び出しますよね。これと同じで、泥がすべて民地側に向かって一気に逃げ出してしまいます。」
説明モデル3:縦亀裂発生の表現(引っ張られて裂ける布)
なぜ堤防が真っ二つに割れるのか(引張応力による亀裂の進展)を説明する際には、「両手で引っ張られて裂ける布やゴム」の比喩を用いる。
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解説の展開: 「川側は矢板があるから動かないのに、民地側は土台の泥と一緒に横へ滑っていきます。すると、堤防の底は『右には残ろうとし、左には動こうとする』ため、ものすごい力で左右に引っ張られます。土は上から押される力には強いですが、引っ張られると簡単に裂けてしまいます。底の方でビリッと裂けた傷が、地震の揺れと沈み込みに合わせて上へ上へと広がり、最後には堤防の頂上に巨大な亀裂となって現れるのです。さらに、民地側だけが沈むことで段差ができ、斜めに引きちぎられてしまいます。」
これらの視覚的・直感的な説明モデルを用いることで、市民は「片側矢板のまま放置することがいかに不自然で危険な状態か」を論理的に納得することができ、将来的な民地側の補強工事(矢板の追加や液状化防止工事)に対する社会的受容性が飛躍的に高まることが期待される。
結論
弥富町北部の木曽川堤防における沈下および亀裂の発生メカニズムは、決して偶発的なものではなく、「約9メートルの高盛土による過大荷重」「弥富累層に連なる軟弱な砂・シルト地盤の液状化」「川側にしか存在しないシートパイル」という3つの条件が複合的に交絡することで生じる、極めて必然的な地盤力学的現象である。
地震動によって支持力を喪失した土砂は、盛土の重力に押し出されて側方流動を開始するが、片側拘束という非対称な境界条件により、そのエネルギーの全てが無拘束な民地側へと向けられる。
この偏った流動が堤防底部に強大な引張応力と剪断応力を発生させ、内部から地表へと進展する大規模な開口亀裂(縦亀裂)と極端な不同沈下を引き起こす。
さらに、これらの亀裂と沈下は、地震後に発生し得る津波や高潮、長時間の降雨による河川増水時において、越水やパイピング破壊を誘発し、海抜ゼロメートル地帯を壊滅的な水害へと導く複合災害の引き金となる。
したがって、本地域における堤防の耐震性および止水性を根本的に確保するためには、現状の片側拘束状態を解消し、民地側への追加の地盤補強(透水性に配慮した鋼矢板の打設)や、SAVE-SP工法等を用いた基礎地盤そのものの液状化抑止対策を総合的に推進することが不可欠である。
行政および技術者は、本稿で提示した直感的な説明モデルを活用し、市民との綿密なリスクコミュニケーションを図ることで、地域全体が一体となった強靭な防災体制の構築を進めることが強く求められる。
