1923年の関東大震災から100年余り。日本の地震学は、過去の揺れを「記録する」段階から、将来発生しうるシナリオ地震の被害を精緻に「予測する」次元へと歴史的なパラダイムシフトを遂げています。
その最前線で世界的な研究を牽引しているのが、東京大学の三宅弘恵教授です。
三宅教授が確立した物理的根拠に基づく「強震動予測レシピ」は、今やIAEA(国際原子力機関)の安全基準にも採用されるグローバルスタンダードとなり、次世代の地震防災を支える中核技術となりました。
南海トラフ巨大地震に伴う長周期地震動や液状化、さらには津波との複合リスクに直面するここ弥富市の地域防災においても、計算機シミュレーションを用いた視覚的な啓発が行われるなど、その研究成果は私たちの具体的な備えへの道標として直接的に還元されています。
本記事では、特異な震源特性の解明から最新のデータ同化によるリアルタイム予測、そして究極のマルチハザードモデリングに至るまで、三宅教授の多岐にわたる学術的貢献と、命とインフラを守る次世代ハザード評価の全貌に迫ります。
三宅弘恵教授の学術的貢献と次世代地震ハザード評価(サマリー)
1. 全体概要と学術的基盤
三宅弘恵教授は、過去の地震動を単に記録する段階から、将来のシナリオ地震を演繹的に予測する「強震動予測」へと地震学のパラダイムシフトを牽引する国際的な第一人者です。
高い被引用数を誇る論文を多数発表し、不均質震源モデリングや地殻物性の解析において極めて重要な基盤を築いています。
2. 強震動予測レシピとSMGA(強震動生成領域)の解明
最大の貢献は、建物に甚大な被害をもたらす短周期の強い揺れを生み出す断層内の特定領域を「SMGA」と定義し、物理的な根拠に基づく「強震動予測レシピ」を確立したことです。断層パラメータを以下の3階層に分類し、未知の地震に対する特性化震源モデルを設定可能にしました。
3. 高度な予測シミュレーションの確立
対象とする周波数帯域に応じた「ハイブリッド合成法」を用いて、高精度な地震動予測を実現しています。
-
長周期帯域: 統合速度構造モデル(JIVSM)を活用した3次元波動伝播シミュレーションにより、堆積盆地での長周期地震動(PL波など)の極端な増幅メカニズムを定量的に解明。
-
短周期帯域: 実際の観測記録を利用する「経験的グリーン関数法(EGFM)」を適用。適切な余震記録がないスラブ内地震( 6.9)の解析において、別メカニズムの地震記録を代替利用する高度なアプローチを実証。
4. 特異な震源特性への対応とモデルの進化
標準的なモデルでは説明できない近年の異常な強震動に対しても、最前線の研究でモデルの精緻化を行っています。
-
活断層近傍のキラーパルス: 2016年熊本地震の解析から、断層浅部の大きなすべり構造と低速度断層破砕帯の同時モデル化の必要性を立証。
-
海溝型超巨大地震: 低周波を生む浅部の大すべり域と、高周波を生む深部のSMGAが分離していることを突き止め、「周波数依存型震源モデル」を開発。
5. 国際標準化と次世代ハザード評価への社会実装
開発された技術や知見は、国内外の防災インフラやリアルタイム予測システムへ急速に実装されています。
-
グローバルスタンダード化: 予測レシピはIAEA(国際原子力機関)の安全基準に導入され、米国SCECの広帯域地震動プラットフォーム(BBP)にも公式実装。
-
地盤特性の「動的」評価: SK-netのデータ解析から、巨大地震による強い揺れが地盤のS波速度を低下させる「時間的変動」を発見し、従来の静的ハザード評価に警鐘を鳴らす。
-
準リアルタイム予測: 気象学の「データ同化」技術を導入し、大地震発生時に波動データを即座に取り込み、揺れの空間分布を時々刻々と最適化・予測する技術を開発中。
-
マルチハザードモデル: 従来独立していた強震動(揺れ)と津波の震源を物理的に統合し、南海トラフ巨大地震などの連鎖的複合災害の被害推定精度を向上。
-
地域防災への還元: 長周期地震動・液状化・津波の複合リスクを視覚化するプロジェクションマッピングや、名古屋大学での講演を通じ、地域の災害リテラシー向上に直接貢献。
強震動の観測と予測に関する包括的解析:三宅弘恵教授の学術的貢献と次世代地震ハザード評価の最前線
1. 序論:強震動地震学の歴史的系譜と現代的課題
1923年の関東大震災(マグニチュード7.9)は、日本の近代社会に壊滅的な被害をもたらしたと同時に、地震学と地震工学の統合的アプローチの必要性を強く認識させる契機となった。
この震災を直接の契機として、末広恭二(Kyoji Suyehiro)教授を初代所長とする東京大学地震研究所(ERI)が設立され、物理的な「地震学」と工学的な「強震動地震学」の基礎が形成された。
その後、1929年の万国工業会議における米国との学術交流(Freemanらの提言)などを経て、1960年代にはSMAC型強震計が全国に配備され、1964年新潟地震や1968年十勝沖地震において、長周期地震動を含む貴重な強震記録が取得されるに至った。
現代の強震動地震学は、このような観測網の飛躍的な拡充(K-NET、KiK-net、SK-net等)と計算機科学の進歩を背景として、過去の地震動の単なる「記録」から、将来のシナリオ地震に対する「演繹的な強震動予測(Strong Ground Motion Prediction)」へとパラダイムを移行させている。
本報告書は、この強震動地震学の分野において国際的な第一人者であり、東京大学大学院情報学環・総合防災情報研究センター(CIDIR)および地震研究所に所属する三宅弘恵教授の研究成果を網羅的に解析する。
三宅教授が開発を主導してきた「強震動予測レシピ」、統合速度構造モデル(JIVSM)による3次元波動伝播シミュレーション、そして最新のデータ同化技術や津波との複合ハザードモデリングは、次世代の地震防災科学における不可欠な学術的基盤を形成している。
2. 三宅弘恵教授の学術的基盤と研究軌跡
三宅弘恵教授は、芝浦工業大学工学部建築学科を経て、1998年に京都大学理学部を卒業、2001年に東京大学大学院工学系研究科にて修士号を取得後、2003年に京都大学大学院理学研究科にて博士(理学)の学位を取得した。
学位論文『Source Characterization of Inland Crustal Earthquakes based on Time and Frequency Domain Analyses using Strong Ground Motion Records(強震記録の波形およびスペクトル解析に基づく内陸地殻内地震の震源特性)』において、すでに今日の広帯域地震動シミュレーションの根幹をなす不均質震源モデリングの基礎を確立している。
防災科学技術研究所(2001〜2003年)および広島大学大学院(助手・准教授:2003〜2012年)での要職を経た後、2005年より東京大学地震研究所助教に着任し、現在は同大学院情報学環・総合防災情報研究センター教授として、被害を及ぼす地震の強い揺れ(強震動)や自然災害科学を専門としている。
三宅教授の学術論文は極めて高い引用数と影響力(インパクト)を誇る。
特に、2003年にBulletin of the Seismological Society of America誌に発表された強震動生成領域(SMGA)に関する論文(Miyake et al., 2003)は380回以上の被引用数を記録し、世界の強震動予測モデルにおける決定的なリファレンスとなっている。
また、2014年にScience誌に発表された、地殻内の地震波速度低下から加圧された火山性流体をマッピングした共同研究論文も約350回の被引用数を持ち、地殻物性の時間的変動(Temporal Changes)を捉える高度な観測データ解析能力を示している。
3. 強震動生成領域(SMGA)の物理的解明と特性化震源モデル
三宅教授の最も核心的な学術的貢献は、入倉孝次郎教授らとともに進めてきた「強震動予測レシピ(Recipe for Predicting Strong Ground Motion)」の構築と、その中核概念である「強震動生成領域(SMGA: Strong Motion Generation Area)」の物理的実態の解明である。
3.1 アスペリティとSMGAの自己相似的スケーリング
地震波形インバージョンの発展により、断層面上のすべり(Slip)は空間的に極めて不均質であることが判明している。
三宅教授らは、断層面全体の中で「局所的に大きなすべり速度」と「高い応力降下量(Stress Drop)」を持つ限られた領域が、建築物に甚大な被害をもたらす短周期(高周波)の強震動を生成する主要因であることを定量的に証明し、これをSMGAと定義した。
解析の結果、低周波数帯域(1Hz以下)の波形インバージョンから推定されるマクロな「アスペリティ(Asperity)」の空間的配置と、短周期帯域の強震動を生成するSMGAの位置がほぼ完全に一致することが確認された。
さらに、SMGAの面積やすべり継続時間(Slip Duration)が、地震の規模(地震モーメント)に対して「自己相似的(Self-similar)」なスケーリング関係を持つことを見出した。このスケーリング則の発見は、未知のシナリオ地震に対して物理的な根拠を持って断層パラメータを事前に設定(特性化震源モデル)することを可能にした。
3.2 予測レシピにおける断層パラメータの階層構造
強震動予測レシピでは、広帯域地震動をシミュレーションするために、震源モデルを以下の3つの階層的パラメータに分類して設定する。
なお、長大断層(例えば複数セグメントが連動するような内陸活断層)に関する新たな知見の蓄積に伴い、三宅教授らはレシピを改良し、地震モーメントに対する断層面積のスケーリング法則を従来の単一モデルから「三段階スケーリング(Three-stage scaling)」へと更新・高度化させている。
4. ハイブリッドシミュレーション手法と経験的グリーン関数法(EGFM)
シナリオ地震のパラメータが設定された後、工学基盤面での時刻歴波形を算出するために、レシピは対象とする周波数帯域の特性に応じた「ハイブリッド合成法」を採用している。
4.1 長周期帯域と短周期帯域の計算手法
長周期帯域(概ね1Hz未満の低周波成分)については、対象地域の3次元地下構造モデル(堆積層やプレート沈み込み構造)に基づき、差分法(FDM)や有限要素法(FEM)を用いた理論的な数値波動伝播シミュレーションが行われる。
一方、短周期帯域(高周波成分)については、地下構造の高周波散乱を決定論的にモデル化することが極めて困難であるため、統計的グリーン関数法(SGFM)や経験的グリーン関数法(EGFM)といった半経験的手法が用いられる。
EGFMは、Irikura(1986)およびIrikura and Kamae(1994)によって定式化された手法であり、対象とする大地震(Target Event)と同一の震源域で発生した中小地震(Element Event)の実際の観測記録を利用する。
要素地震の観測波形 には、震源から観測点 までの複雑な伝播経路や、局所的な地盤のサイト増幅特性がすでに内包されているため、断層寸法比 や応力降下量比 、震源近傍のS波速度 や破壊伝播速度 を考慮してこれらを運動学的に合成することで、極めて現実的な大地震の波形 を生成することが可能となる。
4.2 スラブ内地震へのEGFMの適用とパラダイムの拡張
経験的グリーン関数法は通常、メカニズムが類似した余震を要素地震として利用する。
しかし三宅教授が指導した2019年ジャワ島南方沖のスラブ内地震( 6.9)の研究事例においては、適切な余震記録が欠如していた。
そこで、近接して発生したプレート境界型地震( 5.1および5.2)の記録を代替の要素地震として用いるという高度なアプローチを適用した。
この解析では、特定の観測点(KASIなどの方位角350°)とその他の観測点(41°〜91°)で応力降下量比(Cパラメータ)を空間的に分離して設定することで、合成波形の適合度を飛躍的に向上させた。
この結果は、スラブ内地震特有の高応力降下と特有の放射特性を定量化するものであり、歴史的に強震記録が限られている海溝周辺の地震ハザード評価においてEGFMがいかに強力なツールであるかを示している。
5. 強震動予測レシピの国際的プラットフォームへの実装
三宅教授らが開発した強震動予測レシピは、日本の「全国地震動予測地図」の根幹技術であるのみならず、国際的な地震ハザード評価の枠組みにおいてグローバルスタンダードとしての地位を確立している。
5.1 IAEA安全基準への導入
国際原子力機関(IAEA)が発行する「Safety Reports Series No. 85」において、このレシピは「SMGA/アスペリティモデルのための断層パラメータ推定法(Estimation of fault parameters for the SMGA/asperity model)」として正式に掲載されている。
原子力発電所等の極めて高い安全性が要求される重要構造物に対する基準地震動(設計地震動)の評価において、特性化震源モデルに基づく不確かさの包絡的評価が、国際的なコンセンサスとして認められた証左である。
5.2 米国SCEC広帯域地震動プラットフォーム(BBP)での公式実装
米国南カリフォルニア地震センター(SCEC)の「広帯域地震動プラットフォーム(Broadband Platform: BBP)」は、0から20Hz以上の周波数帯域における地震動シミュレーション手法を客観的に評価するための国際的なオープンソース・ベンチマーク環境である。
三宅教授らは、2000年鳥取県西部地震( 6.6)や2004年新潟県中越地震( 6.6)の強震記録を用いてレシピの性能検証を実施し、複合適合度(Goodness-of-Fit)の厳格な基準をクリアした。
その結果、SCEC BBP v22.4.0には、以下の「2つのIrikura Recipe手法」が公式に実装された。
このデュアル実装には極めて重要な科学的意義がある。
各国の研究者は、米国標準のGP波動伝播法を用いたMethod 1と、日本の完全な手法であるMethod 2を比較することで、「震源モデルの差異に起因する誤差」と「伝播経路(グリーン関数)の差異に起因する誤差」を明確に分離・特定することが可能となった。
これにより、強震動シミュレーションの国際的な精度向上が加速している。
6. 地下構造モデリングと長周期地震動の解明:JIVSMとSK-net
地震動の特性は、震源(Source)だけでなく、伝播経路(Path)および観測点直下の局所的な地盤特性(Site)に強く支配される。
三宅教授は、観測網データの緻密な解析を通じて、地下構造の精緻化とサイト特性の動的変動の評価に多大な貢献を行っている。
6.1 統合速度構造モデル(JIVSM)による盆地増幅の解明
大都市圏に壊滅的な被害をもたらす長周期地震動(LPGM)の予測において、深い堆積盆地の3次元構造の把握は不可欠である。
纐纈一起教授や三宅教授らが開発を進めた「統合速度構造モデル(JIVSM: Japan Integrated Velocity Structure Model)」は、日本全国の最上部マントルから地表の堆積層に至るまでの3次元地震波速度構造をグリッド形式で統合したモデルである。
JIVSMに基づく3次元波動伝播シミュレーションは、長周期帯域における特異な波動場を物理的に解明した。浅い内陸地殻内地震から放射されたP波が地殻内で広角反射(PmP)を繰り返し、5〜20秒の長周期帯で干渉を起こすことでPL波(長周期表面波)が強く生成される。
さらに、関東平野や濃尾平野のような厚い堆積層の存在により、地表面でのPP反射係数が増大し、長周期地震動が空間的・方位的に極端に増幅されるメカニズムが定量的に示された。
この構造モデルは、「次世代長周期地震動ハザードマップの構築(2024-2025年度基盤研究B)」などの先進的プロジェクトの基盤として機能している。
6.2 首都圏強震動総合ネットワーク(SK-net)と地盤物性の時間的変化
三宅教授は、K-NETやKiK-netに加え、地方自治体が運用する震度計データを統合した「首都圏強震動総合ネットワーク(SK-net)」を活用した詳細な空間解析を推進している。
特筆すべきは、2005年と2021年に千葉県北西部で発生した深さ約70kmのスラブ内地震(ともに 5.9〜6.0)の比較解析である。
これらは震源メカニズムが酷似した繰り返し地震と考えられているが、SK-netの観測データによれば、東京足立区伊興や埼玉県南部の同一観測点において、2021年の地震の計測震度や周期1秒の擬似速度応答スペクトル(2005年の約2倍)が明確に増大していた。
観測点の移設がないにもかかわらず波形の空間相関係数が低下していたことから、三宅教授らは、2011年東北地方太平洋沖地震の強烈な長周期・大振幅地震動によって生じた「浅部地盤特性の非線形化とS波速度の不可逆的な低下(あるいは時間的変化)」が関与している可能性を指摘した。
サイト増幅特性を「不変の静的な定数」として扱う従来の工学的前提に対し、巨大地震の前・後における地盤物性の「動的・時間的変動」をハザード評価に組み込む必要性を示す、画期的な洞察である。
7. 特異な震源特性の解明と予測モデリングの更なる進化
2010年代以降に発生した超巨大地震や内陸直下型地震は、従来の標準的レシピでは説明しきれない異常な強震動を記録しており、三宅教授はこれらの課題解決に向けた最前線の研究を主導している。
7.1 2016年熊本地震:浅部断層破砕帯とキラーパルスの生成
2016年熊本地震( 7.0)において、地表地震断層近傍(益城町など)では、甚大な建物倒壊を引き起こす極大の速度・変位パルス(キラーパルス)が観測された。
従来のレシピでは、浅い地殻部分は「すべり量が小さい背景領域」として扱われがちであったが、この地震動を再現するためには、断層浅部に大きなすべりを持たせ、かつその「すべり速度時間関数」を応力特異性のない滑らかなランプ(Ramp)状に設定する必要があることが立証された。
さらに、地表付近の断層破砕帯に伴うS波速度の著しい低下構造(Low-Velocity Fault Zone)を同時にモデル化しなければならないことが示され、活断層近傍ハザード評価における震源モデルと地下構造モデルの不可分性が明確化された。
三宅教授らは、これらの事象に関する特別研究促進費プロジェクト(2016年)を通じ、被害の実態解明に尽力した。
7.2 海溝型超巨大地震における周波数依存型震源モデル
M9クラスの海溝型メガトラスト地震(2011年東北地方太平洋沖地震や2010年チリ・マウレ地震など)の解析において、三宅教授は、地殻内地震の法則が通用しない特異な震源特性を解明した。
通常、短周期の強震動生成領域(SMGA)は、長周期の大すべり域(アスペリティ)の内部に内包される。
しかし、超巨大地震においては、巨大津波を励起する海溝軸付近の「浅部の大すべり域(低周波の起源)」と、強烈な揺れをもたらすプレート境界深部の「SMGA(高周波の起源)」が空間的に完全に分離して分布する傾向が確認された。
この物理的矛盾を解消するため、三宅教授は、対象とする周期帯(周波数)に応じて異なる震源パラメータ(応力降下量や断層面積をN倍にスケーリングするなど)を適用する「周波数依存型震源モデル(Frequency-Dependent Source Heterogeneities)」の開発を推進し、海溝型超巨大地震群に対する強震動予測レシピの飛躍的な精緻化を実現した。
8. 次世代ハザード評価の社会実装:マルチハザードとリアルタイム予測
三宅教授の研究は、歴史地震の分析から将来のリアルタイム予測へと、時間軸を超えた社会実装のフェーズへと移行している。
8.1 古記録解析と歴史建築保全への応用
「古記録から探る関東地震シーケンスの全容解明(2018-2020年)」などの科研費プロジェクトでは、1923年関東地震を含む歴史的な地震シーケンスの再評価が行われている。
また、国際共同研究加速基金(2021-2025年)に基づく「トルコ共和国における歴史建築の保全のための地震ハザード評価手法の共創」では、日本で培われた強震動予測技術を地震国トルコへ輸出し、文化遺産のレジリエンス向上に寄与している。
8.2 データ同化に基づく準リアルタイム地震動予測
現在進行中の基盤研究(B)「準リアルタイム地震ハザードマップの開発(2024-2025年)」および関連プロジェクトでは、気象学で発達した「データ同化(Data Assimilation)」技術を強震動予測に導入する革新的な試みが行われている。
大地震発生時の前震・本震シーケンスにおいて、リアルタイム観測網からの波動データを即座に同化し、地下構造モデルや不確定な震源パラメータを逐次キャリブレーションすることで、長周期地震動を含む揺れの空間分布を時々刻々と最適化・予測する技術である。
これは、静的な想定ハザードマップの限界を超え、動的な避難行動やインフラ停止判断を支援する次世代の防災システムの中核となる。
8.3 強震動と津波の融合震源モデル
さらに、2026年度から2028年度にかけて展開される基盤研究(B)「巨大地震津波災害軽減のための強震動と津波の融合震源モデル開発」では、究極のマルチハザードモデルの構築が目指されている。
従来、耐震工学分野(高周波の強震動)と津波工学分野(低周波の地殻変動)では、独立したシナリオ震源が設定されることが多かった。
三宅教授は、この認識論的な矛盾を排除すべく、広帯域地震波形インバージョンと沖合水圧計等の津波波形データを物理的・力学的に統合し、一枚のプレート境界断層面上の連続的な破壊プロセスとして「単一の複合震源モデル」を構築する試みを主導している。
この統合は、南海トラフ巨大地震における「激しい揺れによる倒壊」と「直後の津波浸水」という連鎖的複合災害の被害推定精度を劇的に向上させる波及効果を持つ。
8.4 アウトリーチ活動と地域防災への還元
社会への知の還元においても三宅教授は指導的役割を果たしている。2026年6月9日、名古屋大学減災連携研究センター主催の「第219回防災アカデミー」において、「強震動の観測と予測」と題した特別講演を行った。
この講演では、1891年濃尾地震の長周期地震動が東京のユーイング地震計で観測された歴史的繋がりや、1967年からの名古屋駅ビルでの強震観測の先駆性を指摘した上で、両都市が「過去約100年間にわたり震度6以上の激しい揺れを経験していない(地震的空白期にある)」という脆弱性の蓄積に対して警鐘を鳴らした。
また、三宅教授らの研究グループは、自治体や「あいち・なごや強靱化共創センター」と連携し、JIVSM等の計算結果を活用した巨大地図へのプロジェクションマッピングワークショップ等を実施している。
愛知県弥富市等で懸念される南海トラフ地震時の長周期地震動による地盤の液状化・沈下、およびそれに伴う津波浸水ハザードの複合的リスクを視覚的に共有することで、地域社会の災害リテラシー向上に直接的に貢献している。
9. 結論
東京大学の三宅弘恵教授による一連の学術的成果は、過去1世紀にわたって蓄積されてきた強震動観測の歴史的遺産を、現代の高度な物理モデリングと情報科学技術によって「予測可能な未来のハザード評価」へと昇華させたものである。
-
予測手法の標準化と国際展開: 「強震動生成領域(SMGA)」の概念に基づく特性化震源モデルと、それを組み込んだ「強震動予測レシピ」の構築は、不確実性の高い断層破壊プロセスを工学的に有用なパラメータへと縮約する画期的な枠組みを提供した。これがIAEAやSCEC等の国際機関・プラットフォームで標準技術として実装されたことは、日本の地震動科学の優位性を示す歴史的成果である。
-
地下構造モデリングと観測データに基づく動的解釈: JIVSMによる長周期地震動(PL波等)の盆地増幅メカニズムの解明、およびSK-netデータを駆使した巨大地震前後の地盤物性の時間的変動(速度低下)の発見は、ハザード評価が「静的・定常的」なものから「動的・非定常的」なものへと進化すべき必然性を実証した。
-
複合的・リアルタイム防災科学の開拓: 浅部断層破砕帯や超巨大地震の周波数依存特性といった特異な観測事実をモデルに還元する柔軟性に加え、データ同化技術を用いた「準リアルタイム予測」や、南海トラフに向けた「強震動・津波の融合震源モデル」の開発は、予測と観測を高度に融合させる次世代パラダイムの提示である。
三宅教授の研究は、地球内部の物理的破壊現象が、地表のインフラストラクチャーや人間社会に対してどのような力学的外力として作用するのかを精緻に描き出している。
今後、超高密度のリアルタイム観測網と高度なシミュレーション技術のさらなる融合により、三宅教授が主導する強震動地震学の革新は、地震災害の被害軽減と社会のレジリエンス強化に向けた最も強力な科学的防壁として機能し続けるであろう。
