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沖積平野の開発と水害~命を救うためには何が必要か?~新潟大学名誉教授 大熊 孝
新潟大学名誉教授の大熊孝氏は、近年の豪雨激化と水害について、単なる地球温暖化だけでなく、日本の土地利用や住まい方に根本的な原因があると指摘し、沖積平野で暮らす限り水害は避けられないという前提のもと、**「命を救うために何が必要か」**について考察しています。
以下森林文化協会の機関誌に大熊 孝先生が投稿された提言の要約です
- 水害激化の背景:土地利用と住まい方の問題
近年、豪雨の頻度は増加傾向にありますが、数百年のスパンで見ると過去には同等以上の大規模洪水も発生しています。例えば、千曲川(2019年)や阿武隈川(2019年)、球磨川(2020年)の氾濫も、過去の記録と比べると必ずしも史上最大ではありませんでした。鬼怒川水害(2015年)では、堤防の保守・点検の問題が指摘されるなど、現代の水害激化は、地球温暖化以上に人間の土地利用や治水対策の不備に起因すると筆者は強調しています。
特に、浸水リスクのある地域に居住する人口が増加している現状があり、1995年から2015年の20年間で、全国の浸水想定区域内の世帯数は約306万世帯も増加しています。これら新たな住宅が浸水を前提とした対策を講じていないため、水害が激化し、多くの水死者を出しています。2000年代に入ってからは、寝たきり老人など高齢者の水死が増加しており、この状況に対し、河川工学に携わってきた筆者自身も忸怩たる思いを抱いています。
- 歴史に学ぶ水害対策:民衆の自然観
日本の平野は河川の氾濫によって形成された沖積平野であり、洪水は避けられません。しかし、かつての日本では、洪水があっても水害にしないための様々な工夫が凝らされていました。例えば、利根川中流域では、微高地に集落を造り、「水塚(みつか)」と呼ばれる盛土の上に母屋や倉庫を建て、避難用の舟や食料を用意するなど、生業を通じて培われた**「民衆の自然観」に基づく水害対策**がとられていました。
これは、国の治水事業が手薄だった地域で特に顕著に見られ、世界的に見ても浸水リスク地域に住む多くの人々が、それぞれの地域に根ざした工夫で水害に対応していると考えられます。ところが、日本では明治以降の近代的河川改修の進展と高度経済成長期の都市開発により、こうした民衆の知恵が忘れ去られ、無防備な都市開発が進んだ結果、深刻な水害に見舞われていると筆者は警鐘を鳴らしています。
- 近代河川改修と都市開発の問題点:倉敷・小田川水害を例に
明治時代に始まった中央集権的な河川改修事業により、連続堤防が建設され、1980年代には常習的な水害は克服されたとされました。しかし、その「安心」が、水害対策を講じないまま新興住宅地が沖積平野に建設される結果を招きました。
2018年の岡山県倉敷市小田川流域の水害は、この問題の典型例です。約120年前の地形図では水田地帯だった場所が、約100年後には市街地として開発され、大規模な浸水被害と多くの死者を出しました。これは、都市計画行政と河川行政が乖離し、「流域治水」の概念が欠如していたためです。明治政府が小田川の洪水を遊水させるために支川の堤防を低く設定していたにもかかわらず、その遊水地の役割が忘れ去られ、何の対策もないまま都市開発が進められたことが被害を拡大させました。
- 命を救うための具体的な提言
沖積平野に住む限り、洪水氾濫に遭遇することは避けられません。高床式で堅固な住宅を建てるなどの対策も考えられますが、早急な実施は困難です。
筆者は、このような状況下で最も初歩的かつ効果的な対策として、各家庭に人数分のライフジャケットを備えることを強く推奨しています。体力のない高齢者でもライフジャケットを装着すれば、浸水しても浮き上がり、避難が容易になります。また、氾濫した濁水中を避難する際には、杖を持ち、ライフジャケットを着用することで、マンホールなどのくぼみを発見し、溺れるリスクを減らすことができます。
ハザードマップで浸水が想定される地域に住む人々は、**「自分の命は自分で守る」**という意識を持ち、各家庭でライフジャケットを備えることが、水害から命を守るための具体的な手立てとなり得るでしょう。