住民(弥富市に住む方):
「ハザードマップを見ると、最大クラスの巨大地震(マグニチュード9)の想定ばかりで……正直、数メートルの津波で町が全部沈むなら、何を対策しても無駄じゃないかって絶望してしまうんです」
弥富防災・ゼロの会:
「そのお気持ち、よくわかります。命を守る『逃げる行動(初期避難)』には、その最悪の想定であるレベル2が絶対に必要です。
でも、逃げた後の『避難生活』までレベル2で考えてしまうと、おっしゃる通り思考停止に陥ってしまいます。
だからこそ、実際にこの地域を襲った過去の地震(レベル1)の被害を前提に対策を練る『二段構え』の戦略が現実的なんですよ」
住民:
「過去の地震というと、昭和の東南海地震(1944年)などですね?」
弥富防災・ゼロの会:
「その通りです。東南海地震の際、海抜ゼロメートル地帯である弥富市周辺の軟弱地盤では凄まじい『液状化』が起き、家や工場が倒壊しました。
さらに当時は戦時中の情報統制があり、外部からの救援が来ませんでした。
これは、現代で広域被災によって通信や道路が麻痺し、『公助が来ない孤立状態』になるのと非常に似た状況なんです」
住民:
「でも、過去の記録だと桑名などの津波は『50センチ』だったと聞いたことがあります。それなら少し安心では……?」
弥富防災・ゼロの会:
「そこが大きな誤解なんです。一部の資料にある『50センチ』という数字は、波の最大高ではなく、人が水圧で歩けなくなる『致命的な水位に達するまでの時間』を示すデータです。
実際には木曽三川を遡る『河川津波』となり、2〜3メートルの波が襲って船や家屋を押し流しました。川沿いでの垂直避難は絶対条件です」
住民:
「揺れと津波の後は、どうなるんでしょうか?」
弥富防災・ゼロの会:
「一番恐ろしいのが『地盤沈下』です。東南海地震では広範囲で30〜37センチほど地盤が沈み、自然に水が抜けなくなりました。
この状態で15年後にやってきたのが『伊勢湾台風』です。
地震で堤防の防御力が落ちていたことが、あの甚大な高潮被害の直接的な導火線になったのです」
住民:
「一度揺れを生き延びても、水との戦いが長く続くのですね。
では、避難所がいっぱいで入れない場合は『在宅避難』になりますが、具体的にどう備えればいいですか?」
弥富防災・ゼロの会:
「液状化で地中の下水管がズタズタになるため、水洗トイレは長期間使えなくなります。
まず『簡易トイレを家族の人数分×7〜14日分』、これが在宅避難の必須条件です。
排泄物の処理ができなければ、衛生環境が崩壊して生活は成り立ちません」
住民:
「なるほど。水や食料と一緒に、トイレもしっかり備蓄します」
弥富防災・ゼロの会:
「そしてもう一つ、海抜ゼロメートル地帯の鉄則があります。
備蓄品はすべて『2階』に置いてください。
これを垂直分散備蓄と呼びます。
地震後の地盤沈下や大雨で1階が水浸しになれば、1階の備蓄品は全滅してしまい、在宅避難の道が絶たれてしまいます」
住民:
「『逃げる』時は絶対に高くて安全な場所へ。
そして『生き延びる』時は、トイレを備えた2階を生活の拠点にする。
過去の現実を知ると、ただ怖がるだけでなく、やるべきことが明確になりますね」
弥富防災・ゼロの会:
「その通りです。歴史的な現実を知ることは、決して絶望するためではなく、具体的な『生存戦略』を描くための第一歩なんですよ。
一緒に地域での備えを進めていきましょう」
サマリー:弥富市における地域内避難・在宅避難の戦略的展望
1. 本報告書の中核となる主張
防災計画において「理論上最大(レベル2:マグニチュード9クラス)」のみを前提とすると、避難後の生存戦略が描けず、絶望感からの思考停止を招く危険性があります。そのため、命を守る「初期避難行動」にはレベル2を適用し、その後の「避難生活・生存戦略」には過去に実在した「歴史的現実クラス(レベル1:昭和東南海地震など)」を想定する二段構えのハイブリッド戦略が極めて実践的かつ不可欠です。
2. 過去の地震から読み解く弥富市周辺の被害実態
戦時下の情報統制によって外部からの支援が絶たれた1944年の昭和東南海地震は、現代の広域被災における「公助の機能不全(支援の低密度化)」を想定する上で重要な先行事例となります。
| 災害名 | 発生年 | 弥富市周辺(海抜ゼロメートル地帯)への主な脅威と教訓 |
| 昭和東南海地震 | 1944年 | 軟弱地盤による揺れの増幅と猛烈な液状化現象。家屋の不同沈下やインフラ破壊が連鎖。 |
| 昭和南海地震 | 1946年 | 揺れは軽微でも、伊勢湾奥への河川遡上津波(桑名で家屋9割流失など)の脅威が健在。 |
| 伊勢湾台風 | 1959年 | 地震による31〜37cmの地盤沈下が自然排水機能を奪い、後年の高潮大惨事の直接的な導火線に。 |
| 三河地震 | 1945年 | 東南海地震の直後に起きた内陸直下型地震。ダメージを受けた構造物にトドメを刺す複合災害のリスク。 |
3. ハザードマップ「50cm」の誤解と真の脅威
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誤解の是正: ハザードマップ等にある「50cm」は最大波高ではなく、水圧により歩行困難となる致命的水位への到達時間を示す指標に過ぎません。
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河川遡上の脅威: 過去の東南海・南海地震では、伊勢湾奥や木曽三川河口部において、波高が局所的に跳ね上がる2〜3mクラスの河川遡上津波が発生しています。沿岸部や河川周辺での垂直避難は必須条件です。
4. 地域内・在宅避難(シェルター・イン・プレイス)に向けた3つの実装要件
外部からの救援部隊や物資が長期間届かない孤立状態を生き延びるため、以下の具体的な対策への行動変容が求められます。
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「逃げる」と「生き延びる」フェーズの分離
地震直後(第一フェーズ)は津波からの絶対的避難(広域・垂直避難)を徹底し、事後の水が引いた状況(第二フェーズ)においては、指定避難所の不足を見越して在宅・地域内避難へ切り替えます。
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インフラ喪失を前提とした自律的備え
液状化による下水管破断を見越し、簡易トイレ(家族分×7〜14日分)を絶対条件として備蓄します。また、通信や電力確保のため、太陽光発電等を持つ地域ハブを平時から構築・共有しておくことが有効です。
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「2階での生活圏確保」と垂直分散備蓄
地盤沈下後の内水氾濫や高潮リスク(伊勢湾台風の教訓)を考慮し、海抜ゼロメートル地帯における在宅避難の拠点は必ず2階とします。水や食料、サバイバル資機材も1階ではなく、すべて2階へ備蓄する(垂直分散備蓄)ことが極めて重要です。
結論
理論上の最大想定による「諦め」を排し、過去に地域社会を徹底的に破壊したM8クラスの複合災害(液状化、河川津波、地盤沈下に伴う恒常的な湛水)という「歴史的現実」に正対することが重要です。初期の確実な垂直避難と、その後の悪化環境下における自律的な在宅避難(2階での生活継続)を組み合わせることこそが、弥富市周辺における最も現実的かつ効果的な生存戦略となります。
昭和東南海・南海地震の被害実態と弥富市における地域内避難・在宅避難の戦略的展望
序論:防災計画における「理論上最大」と「歴史的現実」の相克
南海トラフ沿いを震源とする巨大地震は、日本列島に対して周期的に甚大な被害をもたらしてきた。
現在、国や地方自治体によって策定されている防災計画およびハザードマップの多くは、あらゆる科学的知見に基づく最大の可能性を考慮した「理論上最大クラス(レベル2:マグニチュード9クラス)」の巨大地震を前提としている。この想定は、津波からの避難という「命を守る初期行動」の策定においては不可欠かつ絶対的なアプローチである。
しかしながら、愛知県弥富市のような海抜ゼロメートル地帯において、地域コミュニティ(弥富防災・ゼロの会など)が実践的な防災研修や避難所運営、あるいは在宅避難(地域内避難)を検討するにあたり、理論上最大クラスの極端な被害想定のみに依存することには課題が生じる。
あらゆるインフラが壊滅し、数メートル規模の津波で地域全体が水没するという最悪のシナリオのみを前提とすると、避難後の生活再建や地域内での生存戦略を描くことが物理的にも心理的にも極めて困難となり、結果として「どのような対策を講じても無駄である」という過度な悲観や絶望感を招く危険性がある。
したがって、避難行動(逃げること)には理論上最大のレベル2を適用しつつ、避難所生活や地域内での在宅避難(シェルター・イン・プレイス)の計画においては、過去に実際に発生し、地域社会が直面した「歴史的現実クラス(レベル1:昭和東南海・南海地震クラス)」の被害実態を想定するという、二段構えのハイブリッド戦略が極めて論理的かつ実務的である。
本報告書は、広域被災に伴う支援の低密度化(外部からの救援や物資供給が長期にわたり期待できない状況)を前提とし、弥富市周辺における「地域内避難・在宅避難」の具体的な実装データを提供するため、1944年の昭和東南海地震および1946年の昭和南海地震の被害実態を、内閣府の報告書等に基づき網羅的かつ精緻に分析する。
南海トラフ地震の発生メカニズムと昭和期における連動の系譜
南海トラフ地震は、フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に沈み込む境界で発生する巨大な海溝型地震(低角逆断層地震)である。
歴史的に、東海、東南海、南海の3つの震源域が同時、あるいは数年から数十年程度の時間差をもって連動して破壊される特徴を持つ。
昭和期においては、これらが同時連動するのではなく、時間差を置いて個別に発震した。
1944年 昭和東南海地震の概要と隠蔽された被害
1944年(昭和19年)12月7日午後1時35分、三重県南東沖の熊野灘(北緯33度34.4分、東経136度10.5分、深さ約40km)を震源とするマグニチュード(M)7.9の巨大地震が発生した。
この地震による被害は、静岡県、愛知県、三重県の東海3県を中心に甚大なものとなり、全国で死者・行方不明者1,223人(集計により1,183人から1,233人と幅がある)に達した。
家屋の全半壊は全国で5万棟を超え、特に愛知県、三重県、静岡県の3県に被害が突出していた。
この地震の最大の特徴は、第二次世界大戦の末期という極めて特殊な社会状況下で発生した点である。
軍需工場の被害や社会の動揺を秘匿するため、厳しい戦時報道管制が敷かれ、被害の全体像が国民に知らされることはなかった。
内閣府の中央防災会議がまとめた「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成19年3月(1944 東南海地震・1945 三河地震)」によれば、この情報統制により被災地への外部からの救援や物資の輸送は著しく制限された。
行政による援助物資は数量的にも乏しく、被災後の生活を支えるには不十分であったことが明確に記録されている。
この「広域被災と情報遮断により公助が機能せず、地域住民が孤立無援の状態に置かれた」という歴史的事実は、現代の大規模災害時における通信輻輳や広域インフラ麻痺による「支援の低密度化」をシミュレーションする上で、極めて重要な先行事例となる。
(表: 内閣府および気象庁等の各種被害統計に基づく昭和東南海地震の主要被害概況)
1946年 昭和南海地震の震源域シフトと愛知県への影響
東南海地震から約2年後の1946年(昭和21年)12月21日午前4時19分、紀伊半島沖を震源とするマグニチュード8.0の「昭和南海地震」が発生した。
この地震は、東南海地震において割れ残っていた南海トラフの西側領域(四国沖から紀伊水道)が破壊されたものである。
津波は和歌山県、徳島県、高知県などの沿岸を広く襲い、全国で死者・行方不明者1,330〜1,443人、住家の全半壊28,274棟という壊滅的な被害をもたらした。
しかしながら、震源域が西側に寄っていたという地理的特性により、愛知県内における直接的な揺れや津波の被害は、1944年の東南海地震と比較して相対的に軽微であった。
愛知県における昭和南海地震の死者は10人、負傷者19人、全半壊家屋は197棟にとどまっている。
したがって、弥富市において「より現実に即した、地域に深刻な打撃を与える過去のケーススタディ」を選定する場合、震源域が東海地方に近接し、愛知県西部の軟弱地盤地帯に致命的な揺れをもたらした1944年の「昭和東南海地震」を主軸に据えるという視座は、極めて妥当かつ科学的根拠に基づいていると言える。
愛知県海部郡および弥富市周辺における被害の深層:軟弱地盤と液状化の猛威
弥富市を含む海部郡(現在のあま市、大治町、蟹江町、飛島村など)は、木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)の河口部に広がる濃尾平野の海抜ゼロメートル地帯に位置する。
この地域は地質学的に、水分を多分に含んだ未固結の軟弱な沖積層が厚く堆積しており、地震動の著しい増幅、液状化現象、および地盤沈下のリスクが極めて高い特異な環境にある。
震動増幅と液状化によるインフラの物理的破壊
昭和東南海地震発生時、愛知県および三重県北部では震度6(当時の震度階級の最大値。現在の震度6弱から7に相当)の烈しい揺れに見舞われた。
名古屋市の被害分布を見ると、千種区や北区などの比較的硬い地盤の地域では住家被害率が0%に近かったのに対し、南部の港区や南区、そして海部郡や弥富町(当時)を含む臨海部の低湿地帯では、被害率が10〜14%に跳ね上がっており、局地的に震度7相当の揺れが増幅されたと推定されている。
この猛烈な揺れに伴い、広範な地域で「液状化現象(流砂現象)」が発生した。
記録によれば、弥富町を始めとする低地で地面から泥水が噴き出す流砂現象が起こり、大治町や蟹江町など海部郡の各地でも、地面や堤防に亀裂が走り、泥水の噴出、道路の陥没、地盤の隆起・沈降が多数報告された。
液状化は、単に泥水を噴出させるだけでなく、建物の基礎の支持力を瞬時に奪い去る。名古屋市や半田市で多数の死者を出した軍需工場の倒壊も、この軟弱地盤上での液状化が致命的な要因であった。
特に、阿久比川河口の埋め立て地に立地していた中島飛行機半田製作所では、元禄時代に海を干拓した軟弱な地盤上に工場があったこと、そして軍用機の組み立てのために建物の壁や柱を取り払っていたことが重なり、建物が崩壊して学徒動員の中学生を含む多数の男女が圧死する悲劇が起きた。
弥富市周辺の一般家屋においても、液状化による不同沈下や倒壊が連鎖的に発生し、地域社会は物理的な基盤を喪失したのである。
桑名市および伊勢湾奥における津波の実態:「50センチ」という誤解の解明
本研修の企画において生じた「桑名の津波が50センチであった」という認識については、データの性質と歴史的物理現象を明確に切り分けて解釈する必要がある。
結論から言えば、1944年の昭和東南海地震において、桑名海岸や伊勢湾奥には単なる50センチの波ではなく、局地的に数メートルに達する破壊的な津波が襲来している。
ハザードマップにおける「50cm」の定義
調査資料等で見受けられる「50センチ」という数値は、過去の歴史的被害記録(波高)ではなく、現代の自治体が作成した津波浸水予測図やハザードマップにおける「50cm津波到達時間」のデータである可能性が極めて高い。
例えば、桑名市の予測データには「桑名市福岡町地点 50cm津波到達時間:86分(最大津波高2.95m)」、「桑名市長島揖斐川地点 50cm津波到達時間:93分(最大津波高2.98m)」といった記載が存在する。
ここでの「50cm」とは、成人であっても水圧により歩行・避難が困難になり、家屋等の被害が発生し始める「致命的な水位の目安」であり、到達の猶予時間を示すための指標に過ぎない。決して「最大で50cmしか来なかった」という意味ではない。
昭和東南海地震における伊勢湾奥津波のメカニズム
伊勢湾奥(弥富市、桑名市など)における津波の物理的特性として、外洋から湾内に進入した津波は、水深や地形の影響を受けて波高が減衰する傾向がある。
東南海地震の際、熊野灘沿岸(尾鷲市や錦村)では8〜10mに達する大津波となったが、湾口の鳥羽付近で2〜3mとなり、伊勢湾の湾奥部に到達する頃には平均して0.5〜1.5m程度に減衰したとされる。
しかしながら、木曽三川の河口部に位置する桑名や弥富においては、「河川遡上(河川津波)」という特異な現象が被害を増幅させた。
歴史的記録によれば、桑名海岸には2〜3mの津波が襲来し、赤須賀地区では「蔭山の如き大波が川口へ押し上げ」たとされている。
この川を遡る波の引き波によって、1,500石積みの大型船4隻を含む50隻余りの舟が漂流・流出した。
津波の第1波、第2波、第3波と押し引きを繰り返す中で、水深の浅い河川部では波高が局所的に跳ね上がり、堤防を脅かしたのである。
さらに留意すべきは、1946年の昭和南海地震においても、桑名市周辺(長島町)では全戸数800軒のうち9割にあたる家屋が津波によって流失し、23人が死亡するという壊滅的な被害が発生した記録が残っている点である。
愛知県内陸部での揺れの被害は少なかったものの、河口部における津波の脅威は南海地震においても健在であった。
したがって、過去の東南海・南海クラス(レベル1)の地震であっても、弥富市周辺では「2〜3mクラスの河川遡上津波」が発生するリスクは歴史的に証明されており、沿岸部や河川周辺での垂直避難は必須条件となる。
地盤沈下という不可逆的破壊と複合災害の連鎖
弥富市および海部郡において、昭和東南海地震がもたらした最も深刻かつ長期的な影響は、揺れそのものではなく、事後に残された「地盤沈下」である。
この沈降現象は、海抜ゼロメートル地帯にとって地域の存続を揺るがす死活問題であった。
水準測量のデータによれば、1944年の地震に伴う地殻変動により、名古屋市から弥富町に至る区間の一等水準点の大部分が約31cm〜37cmの沈降を示した。
軟弱地盤の液状化や圧密による局地的な沈下に加え、広域的なプレートの運動に伴う地殻の沈降が複合的に発生したのである。
この数十センチの地盤沈下は、地域の排水機能を完全に麻痺させた。
地盤が沈下したことで自然排水が不可能になり、降雨や満潮のたびに水があふれる「湛水(たんすい=水浸し状態)」が常態化した。
伊勢湾台風という悲劇への導火線
昭和東南海地震による地盤沈下は、後年の大災害の「導火線」となった。地震から15年後の1959年(昭和34年)、日本中を襲った「伊勢湾台風」である。
弥富町、十四山村、飛島村、長島町を含む湾奥の地域は、地震による地盤沈下によって堤防の相対的な高さが失われており、かつ戦後の復興期において不十分な防災対策のまま市街化が進んでいたため、台風の高潮に対して極めて脆弱な状態に置かれていた。
その結果、湾奥の4町村だけで1,163名の犠牲者を出す大惨事となり、弥富町や十四山村では堤防がズタズタに引き裂かれ、12月頃まで街に水が溜まり続けるという凄惨な被害をもたらした。
昭和東南海地震の真の恐ろしさは、地域の地理的条件を不可逆的に悪化させ、後続する気象災害に対する防御力を根底から奪い去った点にある。
1945年 三河地震:直下型地震による追撃のメカニズム
東南海・南海地震の想定を語る上で欠かせないのが、海溝型巨大地震の前後で誘発される内陸直下型地震の存在である。
1944年の東南海地震からわずか37日後の1945年(昭和20年)1月13日午前3時38分、愛知県の三河湾を震源とするマグニチュード6.8の直下型地震「三河地震」が発生した。
この地震は、深溝断層などの活動による典型的なプレート内活断層地震であり、三河地方(蒲郡市、西尾市、安城市など)を中心とする局地的な範囲に最大震度7の壊滅的な被害をもたらした。
東南海地震のM7.9に比べればエネルギー規模は40分の1程度に過ぎなかったが、発生が深夜であったことと、直下型の鋭い揺れにより、死者は東南海地震を上回る2,306名に達した。
海部郡周辺や名古屋市においても、この三河地震によって建物の全壊・半壊がさらに発生し、地面の亀裂や地盤の沈下、噴水・噴砂現象が再び引き起こされた。
東南海地震で構造的なダメージ(クラックや不同沈下)を受けていた家屋や堤防が、この余震的な直下型地震によってトドメを刺される形で完全に破壊されたのである。
これは、広域避難を考える上で「一度の巨大地震を乗り越えても、直後に内陸での激震が襲い来るリスク」を考慮しなければならないことを示している。
広域被災・支援低密度化を前提とした「地域内避難・在宅避難」の実装要件
ここまでの歴史的分析とハザード特性を踏まえ、弥富防災0の会が検討している「広域被災下における支援の低密度化」を前提とした、「地域内避難・在宅避難(シェルター・イン・プレイス)」の具体策と実装に向けた提言を行う。
台風ベルト地帯が広範囲で被災し、外部からの救援部隊や支援物資が数日〜数週間にわたって届かない状況(自己完結が求められる地域的孤立状態)において、生き延びるためには以下の次元で対策を再構築する必要がある。
内閣府の被害想定によれば、広域被災時には通信の輻輳(90%制限)、上水道の約7割の断水、下水道の約9割の利用困難、都市ガスの広範な停止が発生し、これらは数週間単位で復旧しないと予測されている。
1. 「逃げる」と「生き延びる」のフェーズの切り離し
防災計画においては、理論上最大(M9クラス)の津波想定(弥富市で最大3.3m等)を絶対に無視してはならない。
地震発生直後の「第一フェーズ(命を守る行動)」においては、浸水域外への広域避難、あるいは堅牢な津波避難ビルやRC造3階建て以上の建物への「垂直避難」を無条件で選択するよう徹底すべきである。
しかし、津波の危機が去った後、あるいは津波が歴史的現実クラス(1.5m〜2m程度の河川遡上等)に留まり水が引いた場合の「第二フェーズ(避難生活・生存圏の確保)」においては、昭和東南海地震の被害実態を前提とした「在宅避難・地域内避難」の知見をフルに活用する。指定避難所(学校の体育館等)のキャパシティは圧倒的に不足するため、自宅が致命的な損壊を免れている世帯は在宅避難を基本とせざるを得ない。
2. 「家が傾く前提」の在宅避難とインフラ喪失への備え
地域内避難を想定する場合、以下の物理的変化が街を襲うことを住民に理解させる必要がある。
弥富市はハザードマップにおいて液状化危険度が「きわめて高い(PL値15以上)」と判定されている。家屋が全壊しなくとも、液状化による不同沈下によって家は傾き、ドアは開かなくなり、道路は隆起や陥没で車両通行が不可能になる。
トイレと衛生管理の自立化:
地中の下水管は液状化の剪断力によってズタズタに破断し、水洗トイレは長期間使用不能となる。
在宅避難において最も早く限界を迎えるのは「トイレ」である。
各家庭で「簡易トイレ(凝固剤と防臭袋のセット)」を最低でも「家族人数分×7日間〜14日間分」備蓄することが必須要件である。
排泄物の適切な処理ができなければ、湛水による汚水の逆流と相まって感染症が蔓延し、コミュニティは崩壊する。
通信と電力の自律ハブ構築:
停電と伝送路の被災により、携帯電話やインターネットは長期間接続困難となる。
地域内に太陽光発電パネルと蓄電池を備えた家屋、集会所、あるいは企業を平時からマッピングしておき、「情報伝達とデバイス充電の地域ハブ」として機能させる共助のネットワーク協定を結んでおくことが極めて有効である。
3. 「2階での生活圏確保」による垂直分散備蓄の徹底
前述の通り、巨大地震の後には必ず「地盤沈下」が残る。
30cm〜40cmの地盤沈下によって堤防の防御力が低下した状態で、数日後に台風や低気圧、大雨が襲来すれば、津波とは異なる「内水氾濫」や「高潮被害」が街を飲み込む。伊勢湾台風の悲劇がその歴史的証明である。
したがって、海抜ゼロメートル地帯における在宅避難の拠点は、絶対に「1階」であってはならない。
「2階以上のスペース」を避難生活のベースキャンプとして設定し、飲料水、非常食、カセットコンロ、モバイルバッテリー、簡易トイレなどのサバイバル資機材をすべて2階に備蓄しておく「垂直分散備蓄」を強く推奨する。
1階に備蓄していた物資が津波や高潮、内水氾濫によって泥水に浸かれば、在宅避難の道は完全に絶たれることになる。
結論
弥富防災・ゼロの会が進める、防災研修において「歴史的現実クラス(昭和東南海地震など)」の実態を深く学ぶアプローチは、地域住民の具体的な行動変容を促す上で極めて実践的かつ価値が高い。
理論上の最大津波(M9)を恐れるあまり「逃げてもその後が絶望的である」という思考停止に陥るのではなく、過去に確実に発生し、地域社会を徹底的に破壊したM8クラスの複合災害の実像に正対することが重要である。
1944年の昭和東南海地震の教訓が示すのは、単なる大揺れではなく、激しい液状化による都市基盤の切断、行政支援が届かない孤立状態、そして何よりも「地盤沈下による不可逆的な水没リスク(湛水)」への脆弱化である。
これらは一瞬の出来事ではなく、地震後も長く住民の生存を脅かす「環境の悪化」である。
台風ベルト地帯が広範に被災し、公助(政府や自治体からの支援)が薄く遅れる状況を想定するならば、弥富市周辺での避難戦略は、「初期の津波からの絶対的避難(垂直避難)」と、「事後の液状化・地盤沈下・インフラ途絶環境下における自律的な在宅避難(2階での生活継続)」の組み合わせに集約される。
本報告書で提示したデータと歴史的メカニズムが、地域の防災リーダー育成や研修用資料の確固たる科学的・歴史的裏付けとなり、地域ぐるみの「実践的な生存戦略」の構築に寄与することを確信する。
