海部郡(あまぐん)の成り立ちと防災上の特徴
「海部郡」について、その読み方、漢字の意味、そして防災の観点から「海の中」と称される理由を詳しく解説します。
- 「海部郡(あまぐん)」の読み方
「海部郡」は、愛知県にある郡で**「あまぐん」**と読みます。(※同じ漢字で「かいふぐん」と読む徳島県の郡もありますが、愛知県の場合は「あまぐん」です。)
- 「海部」という漢字の意味
「海部」という言葉は、古代において**「海人部(あまべ)」**に由来するとされています。
- 海(あま): 海に住む人々、または海で漁業や航海を生業とする人々を指します。
- 部(べ): 古代日本の職能集団や、朝廷に仕えた人々を指す言葉です。
つまり、「海部」とは、古くから海産物を朝廷に納めたり、航海技術をもって仕えたりした「海人(あま)」と呼ばれる人々が暮らしていた地域であったことを意味しています。この地名自体が、この地域と海との深いつながりを示唆しています。
- 防災の観点から「海の中」と称される理由
弥富市を含む海部郡の多くの地域が「海の中」あるいは「海抜ゼロメートル地帯」と称されるのは、その特殊な地形と歴史的な背景によるものです。
- 干拓による土地の造成: 海部郡の大部分は、もともと伊勢湾の一部であり、江戸時代以降に大規模な干拓事業によって海を埋め立てて造成された土地です。文字通り、ほんの少し前まで海の底だった場所が、人間の手によって陸地に変えられたのです。
- 海抜ゼロメートル地帯: 干拓によって作られた土地であるため、弥富市や蟹江町、飛島村など海部郡の多くの地域は、地盤の高さが**海面(平均海水面)よりも低い「海抜ゼロメートル地帯」**となっています。地域によっては海面より3メートル低い場所もあります。
- 地盤沈下: 昭和30年代中頃からの地下水の過剰な汲み上げにより、地盤沈下が急激に進行し、さらに多くの地域が海抜ゼロメートル地帯となりました(Source 3.1)。
- 排水システムの絶対的な必要性: 海面よりも低い土地であるため、この地域では**自然に水が排出されることがありません。**雨が降った水や、生活排水、さらには万が一の浸水時には、ポンプを使って強制的に水を排出しなければ、水が溜まり続けてしまいます。弥富市を含む海部郡では、木曽川や日光川といった大きな河川の堤防に囲まれていますが、これらの堤防が水の侵入を防いでいるだけで、内側の土地は海面より低い状態です。
- 過去の災害の教訓(伊勢湾台風など): 1959年の伊勢湾台風では、海部地域で高潮により海岸堤防が破壊され、海抜ゼロメートル地帯は大規模な浸水に見舞われました。鍋田干拓などで多くの尊い命が失われ、浸水が120日間以上続くなど、甚大な被害が発生しています。これは、排水システムが機能しなければ、まさに「海の中」に取り残されることを示す悲劇的な教訓となっています。
防災上の意味合い
これらの理由から、海部郡、特に弥富市周辺では、防災において以下の点が極めて重要となります。
- 高潮・津波への脆弱性: 海面より低いため、高潮や津波が発生した場合、浸水リスクが非常に高いです。
- 内水氾濫のリスク: 堤防が決壊しなくても、大雨による河川の増水や排水能力を超えた降雨によって、内陸部に水が溜まる「内水氾濫」が発生しやすいです。ポンプ場の機能停止は、直接的にこのリスクを高めます。
- 排水施設の維持管理の重要性: 日光川水閘門やポンプ場など、地域全体の排水を担う施設の機能維持と強化は、住民の生命と財産を守る上で最重要課題です。これらの施設の見学は、地域の特性と防災の重要性を理解する上で非常に有益です。
- 住民個人の意識と備え: 地域全体の排水システムが機能しない事態も想定し、住民一人ひとりが「自分の住む場所は水害リスクが高い」という意識を持ち、避難経路の確認、食料・水の備蓄、高層階への垂直避難体制の確保など、自助の備えをすることが不可欠です。
海部郡が「海の中」と称されるのは、地理的な事実と、そこから生じる切迫した防災上の課題を端的に表す言葉なのです。
海人部(あまべ)とは:古代日本の海の民
「海人部(あまべ)」とは、日本の古代(大化の改新以前、主に4世紀後半〜7世紀頃)に存在した、海に深く関わる職業集団を指します。彼らは、後の律令制における「品部(しなべ)」の一つに分類される、朝廷に特定の奉仕を行った人々でした。
- 読み方と漢字の意味
- 読み方: 「海人部」と書いて**「あまべ」**と読みます。
- 漢字の意味:
- 「海人(あま)」:海に住み、漁業や航海を生業とする人々を指します。時に「海士(あま、男性の海人)」「海女(あま、女性の海人)」「白水郎(あま)」などとも表記されます。
- 「部(べ)」:古代日本において、大和朝廷(ヤマト王権)に特定の生産物や労役を貢納したり、専門的な職務を担ったりした人々の集団、またはその組織を指す言葉です。
したがって、「海人部」とは、海を生業とする人々で構成され、海産物の貢納や航海技術などを通じて朝廷に仕えた集団であった、と解釈できます。
- 起源と役割
海人部は、主に以下のような役割を担っていました。
- 海産物の貢納: アワビ、海藻、魚介類など、海で得られる豊富な産物を朝廷に献上することが彼らの重要な任務でした。彼らの居住地が「海部郡」といった地名として残されているのは、その生産拠点としての重要性を示しています。
- 航海・水軍技術の提供: 海人部は優れた航海術や漁労技術を持つだけでなく、**船を操る水手(かこ、船を漕ぎ動かす人)**としての役割も果たしました。特に、4世紀後半以降の大和朝廷が朝鮮半島への進出を目指す中で、彼らの航海技術や水軍兵としての組織力が重要視され、組織化が進められたと考えられています(『日本書紀』や『古事記』に応神天皇の時代に海人部を定めた記述があります)。大陸や朝鮮半島との通交においても活躍したとされています。
- 特定の豪族への従属: 海人部は、中央においては**阿曇氏(あずみし)**などの「伴造(とものみやつこ)」と呼ばれる豪族に統率されていました。地方では「海部直(あまのあたい)」「海部首(あまのおびと)」などの地方豪族に率いられていたとされます。
- 全国的な分布: 海人部は、北九州から瀬戸内海沿岸、東海、北陸など、全国的に広く分布していました。海浜部に限らず、河川を遡って内陸部に定着した者もおり、山間部に「海部郷」などの古代地名が残っているケースもあります。
- 生活と技術
海人部の生活は、当然ながら海と密接に結びついていました。
- 漁業: 魚介類や海藻の採取が主な生業で、場所によっては舟に乗ったり、歩きながら捕まえたり、潜ったり、網を使ったりと、多様な漁法を用いていました。集団で網を使って漁を行うこともありました。
- 航海術: 現代のような気象予報がない時代に、潮の流れや風向き、天候の変化を経験則で予測し、安全な航海を行うための高い知識と技術を持っていました。
- 製塩: 塩づくりも重要な役割の一つで、製塩技術によって大量生産された塩は、畿内の王権にも供給されていたと考えられています。
- 信仰と祭事: 海の恵みに感謝し、航海の安全や豊漁を願う祭事や行事を大切にしていました。海のかなたに異世界(ニライカナイなど)があるという信仰と結びついていることもありました。
- 独自の文化: 海と一体となった生活の中で、独自の文化や芸能も育んだと考えられています。
- 社会的位置づけと変遷
大化の改新(7世紀中頃)以降、部民制が廃止され、海人部も律令制下の戸籍に編入されていきました。しかし、彼らが培った海に関する知識や技術は、その後も漁業、航海、水運などに受け継がれていきました。
弥富市を含む愛知県の海部地域が「海部郡」と呼ばれるのは、まさにこうした古代の海人部の人々が生活し、海の恵みを活かして独自の文化を築いてきた歴史的な背景があるためです。彼らの存在が、現在の海抜ゼロメートル地帯という土地の特性と、防災の重要性を語る上で重要な意味を持っています。